今後、旅の日記を書くために用意したブログ

今後、旅の日記を書くために用意したブログです。今のところ旅に出る予定は無いので、旅の日記以外のことばかり書いています。

コロナvsインフル

 

どうも~ミルクボーイです~

あ~ありがとうございます、いま、アベノマスクをいただきましたけどもね

こんなんなんぼあってもええですからね~

ありがとうございます~

ウチのオカンがね、この冬に流行った感染症の名前を忘れてしもたらしくてね

感染症の名前忘れてもうて~どうなってんねんそれ~

ほな俺が一緒に考えてあげるから、どんな特徴言うてたか教えてみてよ~

中国の武漢が感染源になって世界中に広まったやつらしいねんな

その特徴はもう完全に新型コロナウイルスやないか、間違いないよ~

でも分からんねんな

何が分からへんのよ~新型コロナウイルスで決まりやろ~

でもオカンが言うには、もう特効薬とかワクチンとかあるって言うねんな

ほな新型コロナウイルスと違うか~

新型コロナウイルスにはまだワクチンも特効薬もないもんね

ちなみにその特効薬の名前とか言うてなかった?

オカンが言うには、それはタミフルとかリレンザやって言うねんな

ほなインフルエンザやないか!オカンが忘れた感染症の名前はインフルエンザで決まり!

でも分からへんねんな

何が分からへんのよ

オカンが言うには、海外では都市ごと封鎖してるとこもあるって言うねんな

ほな新型コロナウイルスやないか!インフルエンザではロックダウンせえへんもんね

ほな他になんか特徴いうてなかった?

日本国内では毎年1万人くらい亡くなってるって言うねんな

ほな新型コロナウイルスちゃうやないか!日本国内ではまだ1000人も亡くなってないもんね

その死者数はインフルエンザと違うか 他になんか言うてなかった?

なんで日本と海外でこんなに死者数違うんか分からんって言うねんな

ほな新型コロナウイルスやないか! 

日本政府の対応がそんなに成功してるとは思われへんのになぜか海外に比べたら致死率低いもんね

オカンが言うてた感染症新型コロナウイルスです!

でもオカンが言うには、新型コロナウイルスではないらしいねんな

ほな新型コロナウイルスやないやないか!

オカンが新型コロナウイルスではないと言うんやったら新型コロナウイルスちゃうやないか

もっと早く言ってよ~インフルエンザでもないもんね~どうなってんねんホンマに~

オトンが言うには、エボラ出血熱ちゃうかって

いや絶対ちゃうやろ~もうええわありがとうございました~

 

テレビは他国民のプライバシーを心配する前に

韓国ではコロナ感染者の行動履歴を、クレジットカードの購買履歴やスマホの位置情報などを集めて調べて、アプリで国民が広く閲覧できるようになっているという。当然、中国でもアリババのアプリか何かを使って同じようなことをやっていると思うが、そのような個人情報を公開することは、いくらコロナウイルスの感染拡大防止に寄与するとはいっても人権やプライバシーの観点から問題があるのではないかというテレビのワイドショーの指摘があった。ここでは、韓国や中国のそのようなコロナ対策のあり方の是非について自分が扱うということはしない。その番組によると、韓国国民の間では概ねそのような施策は肯定的に受け止められているという。とするならば、多くの韓国国民はプライバシーの問題はコロナウイルス対策よりは相対的に重要と考えられていないということであって、当事者にとって相対的に重要性が低い問題を外部から殊更取り立てることに深い意味があるとは思えない。それよりもテレビは、他国民のプライバシーの問題を心配する前に、自国のコロナウイルス対策について考えたほうが良いのではないか。まあ、マイナンバーカードが2割くらいしか普及していなかったり、異常なまでに個人が個人情報の供出を拒否するばかりにビッグデータの活用が遅れGAFAが育たない日本で、上記のような韓国や中国と同等の施策が現実的に実施することができるとは思えない。自国にはできないことをやっている他国に対して、その施策の相対的に重要ではない問題点だけを指摘しているマスコミ、日本人の現状は、まさにイソップ寓話の狐と葡萄と同じに見える

走った[吉野彰さん講演会の日の記録]

2020年1月28日、14時26分。僕は京都大学・吉田南構内を自転車で爆速飛ばしていた。本当にもういいの?と首をかしげる教授から許可をとり大して出来もしていないのに線形代数の期末試験をただ一人10分早く途中退室した僕は、14時39分出町柳発の特急淀屋橋行に間に合うため、百万遍門付近に自転車を止め、1月にしてはやけに気温が高い京都に走り出していた。

 

信号を守り駅に駆けていた僕の前方を、高校の同級生(なぜか大学では先輩だ)が歩いていた。彼もまた、数学の期末試験を早めに切り上げて途中退室し帰路についていたのだという。この日だけは彼が通学に使っている阪急京都線を使い目的地に向かう。京阪祇園四条駅から、阪急京都河原町駅までには乗り換え時間が6分しか無い。祇園四条で階段の目の前に着くドアの場所を教えてもらって、電車を待った。青特急が来た。

 

祇園四条に着く30秒前くらいに僕はドアの前に立った。彼はそんなに急がなくても間に合うよと僕を笑った。僕は彼に別れを告げ、一人祇園四条の駅を駆け上がった。コロナウイルスの流行に伴って中国政府が自国民の海外団体旅行を数日前から制限しているからか、気のせいかいつもより四条大橋は人が少なく感じられた。僕は時計を見たが、彼が言った通り時間には余裕があったので橋の上からは歩き始めた。

 

実際には結構使っているのかもしれないが、阪急京都線河原町から乗るのは随分と久しぶりに感じられた。いつぞやの京大入試の帰りに阪急で帰りながら読んだ柳田國男の『海上の道』は、まだ積読状態で自室の机の上にある。京阪と違い、優先座席ではない方の車両端はロングシートではないことに戸惑いながら車両とホームを行き来して前方に進む。どうしてもロングシートに座りたかった僕は、ある車両の優先座席の端に座ろうと後ろを向くと、そこには僕と同じ目的地に向かう大学の同級生がいた(彼は高校でも同級生だった)。

 

十三で降りるには前の方がいいだろうということで僕たちは、前から2両目の向かい合いの座席に横並びで座った。1両目は危ないのでやめようと僕が言ったのだった。普段は十三まで行かない彼は、この後にあるというバイトに備えてスーツ姿に上着を羽織っている。それだけ僕たちは、このために時間を急いでいた。

 

十三でドアが開き、僕は飛び出した。階段を駆け下り駆け上がり、改札を走り抜ける。後ろを見ると彼は、まだ結構後ろにいた。普段しないくらいの全力疾走で、僕は阪急の高架をくぐり人の多い十三の雑踏に飛び出す。信号を渡り新北野の交差点で少し信号を待った。彼は僕に追いついた。走りながら僕は彼に、まだ8分あるから大丈夫だと言った。これが十三ダッシュかと僕は思った。時計は15時32分を指していた。

 

体育館に15時40分着席完了(以後入場不可)というメールが前日に届いた僕は狼狽した。講演は、15時50分からだったはずだ。わずか10分の差でも、道を走り辿り着くためには大きな10分である。そのために僕は線形代数のテストを10分早く切り上げなくてはならなかった。大阪の公立高校で5本の指に入ると自称していた倫理の恩師が見えた。門をくぐった。

 

ダッシュで受付に走り、名前を告げ首から下げるカードと、パンフレットを貰った。数学や化学の先生がいた。英語の先生は、体育館の2階から僕らを見下ろしていた。靴を履き替え階段を上がる。もう、走る必要はなかった。我々は間に合ったのである。しかし僕は誰かに頰を思いっきり殴れと言ったり、抱擁しないと許されないと言われはしなかった。僕はただそこにいる人に自分が座るべき場所を聞いただけだった。

 

吉野彰さんは体育館後方から入ってきたので僕は一瞬、距離5mのところにまで接近したことになる。たかが線形代数の点が何点か失われたところで、母校初のノーベル賞受賞者のノーベルレクチャーを受ける方が遥かに有意義に違いない。会場の拍手はしばらく続いていた。講演の内容は、生い立ち、当時の課題、リチウムイオン電池の仕組み、それが創る未来の話に及んでいた。質疑応答で、論文を拝読したという3年生が専門的な内容について質問をしていた。

 

 

 

2030年には、AIが運転する無事故・無渋滞の電気自動車を、スマホで呼び出すシェアサービスが普及し、一人一人が車を持たないことで限られた資源が節約される社会が実現されるという。それらは供給が不安定にならざるを得ない自然エネルギーに支えられた社会において、時には充電を、時には放電を自動で行い電力を供給する蓄電インフラとしても機能する。経済性、利便性に加えて環境への影響という本来相入れない条件を技術によりバランスし、AIやIoTの活用により私たちが普通に生きているだけで便利な、持続可能なスマート社会が実現される。これが吉野氏が描いた近未来の社会の姿だった。吉野氏はさらに付け加える。2025大阪万博こそが、こうした未来の社会のあり方を世界にプレゼンするビッグチャンスである、と。1947年、まだ大阪万博がやってきていない自然が広がる吹田・千里山に生まれ育った吉野彰氏は、1000人を超える聴衆の前でこのように語ったのだった。

なぜ山に登るのか

イギリスの登山家ジョージ・マロリーは、新聞記者にこう聞かれ、こう答えたという。

「なぜ山に登るのか?」

「そこに山があるから」

 

 

私は、どうして山に登るのだろうか。そんなことを考えたことも一度や二度ではない。

私と登山の、最も明らかで影響的な出会いは高校で山岳部に入ったことだろう。それまで登山といえば、わたしの心の故郷である城崎温泉に帰郷した際に、父と来日岳と呼ばれる山に数回登ったことがある程度だった。一体何がそんな私を山岳部へと惹きつけたのかは、今となってはもはやあまり分からない。しかし、3年間の山岳部員としての日々で得られた知識、登山経験、交友関係は今の私にとってはかけがえのないものとなっている。

 

私は昨年(2019年、令和元年)、計7つの山に、のべ10回登った。六甲山、比叡山愛宕山にはそれぞれ2回ずつ登った。10回のうち2回は高校時代にともに山に登った仲間と登り、2回は高校の山岳部の月例山行にOB参加、3回は大学の授業で登らせてもらった。木曽駒ヶ岳は昨年わたしが登った山の中で最も標高が高い山であり、今までに私が地に足をついて到達した最も標高が高い地点でもある。そして、残り3回は登山の経験が私に比べてそれほど多い訳ではない人も誘って、いわば登山の魅力の布教活動として私が計画し実施したものである。

 

山に登ることは、多くの場合しんどい。たとえ大人数で登っていても4人程度のパーティーで登っていても、登っていて息が切れて会話しないことはある。まして、昨年わたしも一度だけさせてもらったが、地形図を見ながら隊のペース配分を考えていつも先頭を歩いてもらっている人には頭が上がらない。登山というのは本源的に自己責任の活動であるから、後ろを歩く者も本来はちゃんと地形図を読んで歩を進めなければならないが、これは意外に難しいことであって、ちゃんと山に登る前に自宅でコピーに線を入れたりなどして山域の様子を頭の中に入れておくのが、せいぜい最も有効な対策だろうと思う。

 

山岳部として登山していた時には、高体連主催の登山大会というものが年に数回開催され、これに参加していた。登山大会における歩行は、大変しんどかった。重い荷物を背負って、予め決められた道を読図しながら、時間を守って歩かなければならない。そこには、周囲の景色を楽しむ余裕など介在する余地がなかった。そう、景色。高校一年の時の合宿で登った北アの蝶ヶ岳という山の、森林限界で視界が開ける瞬間の景色を私はよく覚えている。繰り返し山に登る多くの人々が、山に登り続ける理由として他では体験できない景色の美しさを挙げるだろうことはもはや否定できないと思う。

 

山岳部員の中には、高校一年の夏合宿で自らが春に下した決断を後悔する者が毎年何人かいるらしい。重い荷物を背負って、いつ着くとも分からないテン場を目指して、先輩たちに遅れないようについていかなければならない。そんな"極限的状況"でなくても、山に登っている時、"なぜ山に登るのか?"と考えることはそれほど不自然なことではないと思われる。"なぜ山に登るのか?" 景色が美しいから、一緒に登る友人がいるから、大学の単位が必要だから、理由を考えることは簡単 しかしそれを一つに決めることは難しい。人が、私が、山に登る理由は、動機は、多くの要因の複雑系である。そう思い至った時、"そこに山があるから"と喝破してみせたマロリーの偉大さ。

 

 

""という存在は、そこにある(彼の場合エベレスト)具体的な山でもあり、登山を通じて一期一会に知り合った人々、友人と楽しむ登山そのもの、言葉を失うような絶景、実際に山に登るのでなくても下界での諸々の活動、そういったものを包摂し、体現している言葉なのではないか。"なぜ山に登るのか"という懐疑的な姿勢ではなく、登山という行為の私にとっての主観的な重要さに気が付いた。景色も、人も、登山するということも、そのうちの何かだけが他をおさえて重要だということは決してない。自分が"山"という現象を通じて経験する全てのことが、主観として重要だ___________

そんなことを考えながら私は、深夜2時にこんな文章を書いています。以前から、"なぜ山に登るのか"ということに関して、まとまった分量の文章を書いてみたいと思っていました。なぜ急に書こうと思い立ったのが今だったのかは分かりませんが、"そこに山があるから"ということでどうぞよろしくお願いします。僕はこれからも山に登り続けると思います。そんなに危険な山には登らないと思いますが、登ると思います。一緒に登ってくれる人も、TwitterLINEで募集すると思います。その時はどうぞよろしくお願いします。"なぜ山に登るのか?"は実際に山に登った人だけの特権ですよ

(2000字)

 

文責:高校に卒業文集が無かったのを少し残念に思っている人

四足歩行

https://m.youtube.com/watch?v=2BzYP7PU9B4

 

YouTubeをバックグラウンドで再生している。

 

夢で走る時、四足歩行(走行?)した方が速いと気付いた。夢で走る時、今までは二足歩行だった。文脈の死?死の文脈?自分が胸か首かくらいまで浸かって立てるプールの中を泳がずに上下運動を利用して走る時のような、地上で走る時と比べて効率的に走れないような、もどかしさ。実現?泳ぐか、四足歩行した方が速く移動できる。次に夢を見て、走らないといけない時は四足歩行しようと思う。歩行というかチーターのように駆け抜けたい。皆さんは?

本を同時並行で読む病気が治らない

本を同時並行で読む病気が治らない。本を数冊自分のお金で買える余裕があることや、小説はあまり無いが難しい本や少しお固い一般書的な本は図書館で借りたい放題なこともあり、本の供給がガバガバなのかもしれない。僕はずっと大学に入ってからいきなり本を読み始めたと思っていて、実際読んでいるペースとしてはそれまで、特に浪人していた1年(年5冊程度?)と比べて、かなり速いものがあるとは思うが、最近は本当にそうなのかという気もしている。高校生の時は授業に集中せず、また家でも電子辞書に入っている青空文庫を結構読んでいた気がする。太宰治は高一の時に『人間失格』が教室の本棚に入っていたのを2回くらい読んでから電子辞書でも他の作品を結構読んでいたし、その他は名前は忘れたが井伏鱒二の割と有名な作品や、『ガリバー旅行記』とかも電子辞書で読んでいた気がする。

本を同時並行で読む病気が治らない。

他の人はどんな風に本を読んでいるのだろうか。この前、同窓会の帰りに小中からの友達と、中学の時に部活からの帰り道で溜まってお喋りしていたように溜まってお喋りしていた時に聞いた感じでは、少なくともその友達は本をそんな風には読んでいないという。面白そうだと思った本でも実際に読み始めてみるまでは面白いかどうかは分からない。自分で買った本ではなしに、それが図書館で借りた本だったりすると別に最後まで読みきる自分に対しての義務性みたいなものは無いわけで、途中で読むのをやめてしまう。内容が理解できず早々に諦めてしまう場合はその本は近い未来に再び読まれるということはないが、同じ途中で読むのをやめるといっても半分くらいまで読んでその内容自体の面白くなさというより継続してその本を読む集中力が切れてしまって楽しめないから読むのをやめるという場合もある。そんな時は、他のまだ読んでいない面白そうな本を読み始めたりするのである。こんなことを繰り返しつつ、例えばその前に一度読むのを中断した本があり、別の本を読んでいる間にその本に対するモチベーションが上がってきた場合などは、その本をもう一度途中から読み始めたりする。こんなことを繰り返しているので読み終わる本がないということにはならないが、同時に本を(半分積ん読状態で)5冊くらい常に読んでいる状態になってしまうのである。今僕は若林正恭の『ナナメの夕暮れ』を読んでいて、本の帯に西加奈子さんのコメントが入っているが、本を買ったのは12月でその時には最初の数十ページだけ読み放置していた。買った時には西加奈子さんを知らなかったので帯を見たかもしれないが何も覚えていないのだが、その後1月の初めからYoutubeで「真夜中のニャーゴ」のアーカイブを聴き始め、その中でちょくちょく加藤千恵さんが西加奈子さんの話をするのでそこで西加奈子さんを名前は聞いたことがある状態になり、こないだ『ポルシェ太郎』を読み終わってから次に読む本が見つからなかったところに、さっき西加奈子さんが帯にコメントを書いているこの本があったので少し再び読み始めたというところです。

 

本を同時並行で読む病気が治らない。