僕は朝っぱらからアイスコーヒーを飲みたい

 

意識。意識を持って走る。走っているということを意識する。自分は今走っているということを強烈に意識することではじめて、自分の脚が地面を蹴る力が自分の脚が地面を蹴ることだけに使われるようになる気がしている。

 

意識不明とは区別したいが、長い、折り返し点が見えない直線を走っていると、自分が今走っているということを強烈に意識し続けていたとしても、気がつくと無意識に走っているということがある。意識のバックグラウンドで物事を処理できる人間の脳は確かに素晴らしいが、自分は今走っているのだということを強烈に意識し続けていないと、自分の脚が地面を蹴る力が自分の脚が地面を蹴ることだけに正しく使われない。正しく使われないと、どうしても走るのは遅くなる。

 

「常に意識を持って物事に取り組む」と言うときの「常に」は、何となくスタートからゴールまで漠然とずっと、という惰性になってしまいそうな気がする。「常に」意識して走る、「常に」走っていることを意識しながらスタートからゴールまで走ることはとても難しい。「常に」は漠然とずっと、ではなくスタートからゴールまでを極限まで細分化したその一瞬一瞬、微小時間Δtで意識を持ち、その微小時間Δtをスタートからゴールまで全部足したもの。そうしないと自分の走りはどこか惰性的になってしまう。人間は〜と主語を大きくするつもりはないが、少なくとも自分はそんなに強くない