地球温暖化について考えたこと

 

主語は迷ったので私たち、にしておくが、私たちが毎日あるいは毎日というスケールでなくても良いがある周期的な間隔で継続して行なっていること(というと何か意識的に行なっている意識の高い活動のように聞こえるが、何でも良い)を、毎日継続して行なっている理由が「昨日までやっていたから(ないしは先週までやっていたから、とか)」になっている状態のことを、マックスウェーバーの言葉を借りて「伝統的支配」と呼ぶことにしてみよう。それでは、(上記のようなこと)の「合理的支配」あるいは「カリスマ的支配」とはどのようなものになるだろうか。「合理的支配」に関しては、日々行なっていることを何か明確な理由・目的をもって行なっている状態、とでも定義することができるであろうが、こと「カリスマ的支配」に関しては定義が思いつかない。今この記事は思いつきで書いているので、思いつかなくて申し訳ない。話をそらすが「おこなっている」と言う時の「おこなっている」は「行なっている」の方がよいのか、「行っている」の方がよいのか。私としては「行う」は「おこな/う」と読ませるのだから後者の方が望ましいのだと思うが同じ漢字を用いる「いっている」との区別をつけるために、文脈で判別できるだろうという意見もあろうが、前者を用いることにする。もう一つ付け加えると、「読点カギカッコ(、「)」もかなり気持ち悪いと思っている。これに関しては一般論が分からないが、読点で区切りを付けたい次の語がカギカッコを要する単語であるとかなり苛立ちが募る。
話を戻して、何が言いたかったのかというと、この支配の3類型というのは3次方程式の解と係数の関係みたいなもので「カリスマ的支配」という3式のうちの1式が欠けている状態で使うのはあまり好ましくないのではないか。ということで(以上のようなこと)を「伝統的支配」と呼ぶのはやめることにする