今後、旅の日記を書くために用意したブログ

今後、旅の日記を書くために用意したブログです。今のところ旅に出る予定は無いので、旅の日記以外のことばかり書いています。

大村愛知県知事のリコールは憲法99条を軸にすべき

(以下敬称略)高須克弥百田尚樹竹田恒泰、有本香、武田邦彦らを中心に、大村秀章愛知県知事をリコールするための署名活動が始まっている。詳細は以下のリンクを参照されたい。

aichi-recall.site

 

上のページの"設立趣旨"にも色々と書かれているが、リコールの主な目的は、2019年のあいちトリエンナーレにおける"表現の不自由展"で、昭和天皇の肖像を燃やしたりするような作品に、公金を支出するという大村愛知県知事の姿勢を問うことだと見てよいだろう。リコールが成功すれば、現行制度下で都道府県知事レベルの罷免が実現する最初の例となり、社会的にも大きな影響が及ぶだろうことは想像に難くない。

 

ja.wikipedia.org

なお、上のWikipediaの"都道府県知事・市町村長の解職"の項によくまとめられているが、署名が一定数以上集まっても、直ちに失職するということではなく、最終的には住民投票にかけられて、そこで罷免の是非が問われることになる。

 

私が問題にしたいのは、リコール運動それ自体というより、リコール運動のアッピールの理由や根拠として、何を使っていくかということである。どうも、運動の主体となっている高須克弥氏の言動などを見ると、押しが弱いのではないかと思われるのである。

例えば、以下のツイートである。

 また、会見にも参加していた竹田恒泰氏のツイートを以下に引用する。

もっともリコールの請求は一定以上の署名数が集まれば実現するから、リコールの署名を訴える根拠は、署名数が十分集まりうるものであればなんでもよい。しかし、純粋に署名数を集める上では、その根拠は、個人によって異なる思想に左右されるものではなく、あくまで中立的な"装い"をしたものである方が望ましいのではないかと思う。

その点で、リコールの根拠を愛国心に訴えかけるものにすることや、あるいは少しは法律的な体裁を整えようということで日本国憲法第一条を持ち出すのは、決して悪いことではない。

 

日本国憲法第一条:

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。日本国憲法

 

しかし、それでは日本国に対する愛国心をあまり持っていない人や(残念なことだが)、あるいは憲法でいくら"日本国民の総意"と書かれているとは言っても、先の大戦での直接的・間接的な経験や、戦後の"自虐史観教育"などの影響、はたまた天皇制の下での立憲君主制以外の望ましい国家像を別に持っているなどの理由で、個人的に天皇によい思いを持っている人だけから日本国民が構成されているわけではないのもまた事実であって、そのような人々に対するアッピールとしては押しが弱い。

そうであるとするならば、署名数を一定数以上集めるというまずリコールの請求に必要な条件をクリアし、後の住民投票で罷免を実現させるためには、愛国心に訴える方法や、憲法1条だけを根拠にするのは、やや不十分ではないかと思うのである。

それでは、一体何をアッピールの根拠として使っていくべきなのだろうか。私は、日本国憲法第99条を使うとよいのではないかと思う。

 

日本国憲法第九十九条:

天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。日本国憲法

 

上記の条文中の"その他の公務員"の中には、当然、愛知県知事も含まれるから、大村愛知県知事もまた、日本国憲法を尊重し擁護する義務を負う。その上で、日本国憲法第一条を持ってきて、"日本国の象徴であり日本国民統合の象徴"である天皇を、個人的にどういう考えを持っていようともそれは自由だが、愛知県知事という一応公人である訳だから、そのような振る舞いをするのは適切ではない、という線で論理を詰めれば、たとえ肖像を焼いてそれを踏みつけるくらい昭和天皇のことが嫌いな大村愛知県知事でさえも、納得してリコールの署名に同意するに違いない。

まあ、もっともそのような考えを持っている人が実際にリコールの署名にサインするとはおよそ考えにくいが、現代の日本においては、実際には右傾化が進んでいるのかもしれないが、政治的に無色というか中立であることを、重んじるような気配があるので、あまり積極的に愛国心に燃えているわけではなかったり、昭和天皇のことが好きであるというわけではない人も多いでしょうから、そのような人々にも署名の根を伸ばすという点において、誰もが納得する日本国憲法第99条を軸にした論理で、署名活動のアッピールをしていくのがよいのではないかと、私は思います。