今後、旅の日記を書くために用意したブログ

今後、旅の日記を書くために用意したブログです。今のところ旅に出る予定は無いので、旅の日記以外のことばかり書いています。

MMTや天皇について

私はMMTについて未だ全く不勉強ですから、以下で言おうとすることはほとんど間違っているかもしれません。MMTの主張するところというのは、極度のインフレ局面でない限り主権的に通貨を発行できる国家は財政破綻しないということだと理解しています。MMTが前提としているのは、通貨というのはそれで税金が払えることを国家が保障することによって通用力を持っているという通貨観です。MMTケインズと親和性がありますから、デフレ状態においては国債を大量に発行して財政出動すべきだという主張に向かいます。ここで、こんなことを言う人がいます。「MMTでは国債で財政を行うし、国債の償還にも新規国債を発行してそれでもって償還に充てるということなら、財政全部を国債だけで賄って税金は要らないのではないか。」実際には、税金には所得の再分配やビルト・イン・スタビライザー、経済の駆動力としての役割など税金としての重要な機能があるので、このような主張は間違いということのようです。しかし、この「税金0で国債だけで国家財政を全部やる」という状況はちょっと面白いと思ったのです。というのは、MMTは国家が税金の支払い手段として通貨を法定することで、人々は円やドルなどの通貨に信用があると思っているという通貨観に根差していますから、その通貨の力の源となっているところの税金というのを無くすと果たしてどうなるのかという好奇心です。これから10年間税金は徴収しませんというように期間を区切るとあまり意味がないように思います。それは結局、10年後には税金が復活するということを人々が知っているわけですから、税金がなくても税金に基づいた通貨の力というのは衰えないでしょう。そうではなく、例えば"間違ったMMT派"とでも言うべき集団が政権をとり、以降税金は未来永劫廃止して全部国債でやりますというようなことを言ったという状況を考えます。しばらくは慣性で通貨は力があると思いますが、どれくらいか分からないけど"しばらく"時間が経つと力というのは無くなってしまうのでしょうか。私の理解が間違っている可能性はありますが、MMTが前提にしていると考えられる通貨観では、それは"しばらく"経つと力は次第に無くなっていくのでしょう。その後、どうなるかは分かりません。あるいは、もしかするとこのようなプロセスにはならないのかもしれません。いま現時点でどういうことになるというのは分かっていませんが、この問題については少しずつ考えたいと思います。解決は、問題自体が解決されるという形でなされるかもしれませんし、あるいは問題自体が問題ではなくなるという形で解決されるかもしれません。最後に付け加えておくと、私はMMTに懐疑的ということでは全くありません。むしろ現時点では、"特定の条件下では極めて有効"なのではないかと思っています。国会議員でMMTを言う人があまりいませんが、自民党西田昌司代議士は応援しています。しかし、このことはこれから勉強していく中で私の考えが変わることがないということを言っているものではないということを言っておきたいと思います。

 

私は天皇は男系継承すべきだと思います。そして、男系継承できないなら天皇制はやめたらいいと思っています。2000年くらい続いてきた伝統が無くなるのは残念ですが、天皇がずっと男系で継承されてきた以上、女系で継承を始めるとそれは天皇ではない何者かになってしまいます。しかし、このことは男系継承を存続させるための積極的な措置を講じないことをよしとする見方を私が持っているということではありません。むしろ、旧宮家皇籍復帰とか、必要なことは全部やればいいと思います。その結果としてそれでも男系が途絶えるということならそれはもう諦めるしかないということを言っているだけです。女性天皇は何も根本的な解決になりません。純粋に皇位を継承できる男系男性の不在というだけの理由で男系の女性天皇を認めるという状況になっているとしたら、それはもうその次の代で男系継承は終わりなわけですから。しかしこのことは、男系の女性天皇に私が絶対に反対しているということではありません。話は少し変わりますが、女系天皇の意味や、女系天皇女性天皇との違いも理解していない日本人は、この議論に参加する資格はないと思います。別に何もそんなに難しいことを言っている訳ではないので、普通の成人なら誰でも理解できると思いますが、それでも理解していないのはひとえに理解するつもりがそんなにないということを端的に反映しているに過ぎないのであって、いくら憲法に"日本国民の総意"と書いてあるからといって、それならまずその理解に対する態度を改めた方がいいのではないかと思います。

今はたまたま天皇制に基づく立憲君主制で、議会があって全国から地域ごとに選ばれた人が国の在り方を議論していますが、これは結構すごいことだと最近おもっています。他国と比較してというのではなしに、こういうやり方は日本の歴史を2000年としますと、かなり最近の仕組みだからです。しかしその一方で、今のようなこういう制度ではないけども昔から日本ではこれに代わるような統治や政治の仕組みがずっとあって、今たまたまこういう見かけになっているという見方も可能だと思います。新幹線の車窓から見える密集した家々の風景や、田んぼの風景なんかを見ると、表面上の制度ということよりも昔からずっとやっていて、この島国で営まれてきた人々の様々な動的な活動というものが実感として少し分かったという感じを得ることがあって(しかしそれはかなり一面的な見方です)そんな日本像について最近は少し考えたりしています。