今後、旅の日記を書くために用意したブログ

今後、旅の日記を書くために用意したブログです。今のところ旅に出る予定は無いので、旅の日記以外のことばかり書いています。

名前とルーツ

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以前、こちらの記事で文脈と同一性についての話を書きました。私たちはある他者がその他者であることを確定するために文脈を大いに使っているのではないかという観点から、逆に文脈こそが同一性を担保している真の原因なのではないかというようなことを考えました。そして最後に、自己の同一性や一貫性ということに関しても、文脈やあるいは記憶が重要な役割を担っているのではないかというようなことを書いたと思います。今回は名前とルーツのお話です。ところで、自己同一性という意味のidentityという言葉がありますが、他者がその他者であるような他者の同一性、一貫性を意味する格好いい言葉は無いものでしょうか。iに対してyouを使ってyoudentityとか、いいんじゃないかと思います。前回は、街で知り合いを見かけた時にその人が本当に自分の知っているその人か、見た目では判断できないので、文脈の効果が重要だという話でした。または、そういう例についてでした。今回は、非常にそれと似ているけれども、少し異なった状況について考えてみたいと思います。それは、今回も文脈無しで、そして見た目では判断できず(前回は同窓会で化粧が濃かったかつての同級生が誰か分からないという話でした)という状況で、そのある人は私が誰であるかを一方的に認識しているという状態です。相手は、私が何者であるかを知っています。そして、私は相手が誰であるか、思い出せないか、もしくは非常によく似た別の人をもう一人知っていて大方この人ではないかと分かってはいるけれども、確定はできていないというような状況です。ちなみに私には双子の従兄弟がいて、毎年か何年に1回か会いますが、未だにどちらがどちらであるかを知りません。さて、そのような状況で非常に強力な武器となるのが、名前です。名前は非常に強力な、同一性を確定させるための手段です。同姓同名で見た目もよく似ているという例はあまりありませんから、一般的に強い方法です。つまり、相手に名前を聞くということです。これは非常に安全です。相手が誰であるかが確定できない状態で物事を進めるのは非常に難しいからです。ごめんなさいどこかでお会いしたことがあるのは分かっているのですがお名前をお伺いしてもよろしいでしょうかと尋ねれば良いのです。問題はここからです。ここからというか、問題はここではない場所にあります。まず第一に、名前を聞いてもまだピンとこない場合、それは危機的な状況であることに違いありません。その場合は、さらに続けて以前どこで私とお会いしましたかというような別の文脈から相手を確定させる必要があります。ちなみにこの方法は、名前を聞いた段階でyoudentityが把握(youdentityの使い方がこれで合っているか私は知りません)できた場合にも、以前どこどこでお会いしましたよねと伝えることで私はあなたのことを覚えていますよというメッセージを相手に伝えることに使うことができます。第二の問題は、これはより深刻というか、名前というものの本質に関わる問題ですが、以前会った時に相手から相手の名前を聞き出すか、あるいはその他の方法を使って相手の名前を知っている必要があるということです。しかしながら、一般的には名前というものは相互に認識している必要があるというか、私は名前を知らない相手が私の名前をなぜか知っているという状況はやや不自然の感があります。よって、相手の名前を自分が知っているためには、自分の名前もまた、相手が知っているという状態にしなければなりません。自分の名前というのは普通皆覚えていて、だから記憶の問題に分類されるかもしれませんが、私は名前というのは文脈だと思います。非常に様々な要素がそれと紐づけられています。文脈であるからこそ、それを使ってidentityを保証しyoudentityを確定させることができます。だから自分が名前を知らない人を探したり、自分が名前を知らない人を他者に伝えることには、大変な困難が伴います。ですがその一方で、こんなことを言うとお前は矛盾していると言われそうですが、名前がdentityを確定させる非常に強力な手段であるからこそ、お互いに名前を知らない人間関係もまた、非常に美しいと思います。そういう状態は通常長くは続きませんが、しかし名前にはそういう面、使い方もあると思います。かなりぼかした言い方をしましたけどね。

そろそろルーツの話をして終わりにしたいと思います。ルーツもまた、その人をその人であらしめる文脈だと思います。だからなのでしょうか、多くの場合無意識なんじゃないかと思います。自分が他の人に、また他の人が自分に、そのルーツの話をするという状況に意識すると何回も遭遇している気がします。基本的に人との出会いは一期一会ですが、その中で人は、一生懸命に自分の文脈と相手の文脈を相互に結びつけようとしているのかもしれません。そういう風に思っています。