今後、旅の日記を書くために用意したブログ

今後、旅の日記を書くために用意したブログです。今のところ旅に出る予定は無いので、旅の日記以外のことばかり書いています。

「警察が来る熊野寮は勉強ができない環境」なのか?

近年、京都大学熊野寮は年に数回、京都府警察等による家宅捜索(捜索差押)を受けている。


これに対して、このように警察が頻繁に来るような場所では、落ち着いて勉強ができないのではないかと懸念する向きがある。例えば、

「そもそも熊野寮に入居しなければ良いのでは?どういう経緯で入ることになったのかは分かりかねますが、京都大学で勉強するぞ!ってなったときに、警察が頻繁に来るような所に居住を構えては 勉強出来るような環境下ではない、というのは明白な筈なので…。」

これに加えて、成績が落ちて親が心配するとか、活動家と関わると就職できないとか、もっともらしく根拠のない噂が広まっている。

私の主観的な考えでは、たかが年に数回来る程度の警察よりも、寮内の様々な仕事や誘惑や人間関係や...といったものの方が遥かに「勉強の邪魔」になるのである(そしてそれらは同時に、寮生にかけがえのない学びを提供するものでもある)。

しかし、そのことはさておき、「熊野寮では勉強ができない」なんてことは、世間のイメージほどは無いということを示したい。

まず、大前提として京大生は2,3割くらい留年する。
www.assdr.kyoto-u.ac.jp

だから、留年者が多いことをもって、熊野寮では勉強ができないと結論することはできない。京大生平均と比較して優位に多いかどうかは、まだ誰も調べたことがないだろうからだ。

さらに、熊野寮には、留年して親の援助が打ち切られたという理由で、安価な住居を求めて入寮してくる人が多い。これは、熊野寮京都大学の福利厚生施設として役割を果たしていることを示している。

従って、「熊野寮に入ったから留年する」のか、「留年したから熊野寮に入ってくる」のかは、実際のところかなり区別が難しいのである。

もちろん、筆者の体感としても、熊野寮には留年や休学、その他の事情で一般に「正規」とされている年限(学部なら4年とか。)を越えて居住している人が多いと感じるのは事実である。大学生活が楽しすぎて勉強に身が入らない学部1回生とかも、多いだろう。

しかし、それは熊野寮が「入ったら警察が煩わしくて勉強できない」ような環境だから、ではない。むしろ、多様な学生の居住に門戸を開き、学生がドロップアウトしないようにコミュニティに繋ぎ止めてきた証といえるのではないか。


さて、いくつかデータを示そう。

寮祭企画「エクストリーム官僚」というものがある。これは毎年冬の寮祭の時期に行われる「国家公務員採用総合職試験 教養区分」(いわゆるキャリア官僚になるための試験)に熊野寮生を大量に受験させる企画で、数年前まで行われていた。

「参加者の戦績をのろのろと収集しておりました。
申込者は34名、受験が確認できたのが18名、1次試験合格者が10名でした(合格率55%)。
全国での1次合格率が22%であることを考えるとかなりよい結果です。」

そもそも出願しながら当日受験していない人の多さに驚くが、分母はほとんど熊野寮生と推測され、世間平均と比べて異常に高い合格率を叩き出している。京大生を分母とするデータは発見できなかったものの、少なくとも熊野寮生は良い成績を残していることが分かる。


次に、謝辞に「熊野寮」に関する記載を含む学術論文の存在である。こうした学術論文を執筆しているのは、主に博士後期課程の寮生や、たまに寮に遊びにくる熊野寮出身者のポスドクなどである。ためしにGoogle Scholarで「Kumano Dorm」と検索をかけると、何本もの論文がヒットする。

例を挙げると、

・We are grateful for the academic and supportive atmosphere afforded by Kumano Dormitory at Kyoto University.
https://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/acs.langmuir.3c01640

・We are grateful to Kumano Dormitory for providing an academic and supportive atmosphere that has greatly benefited Nakashima.
A Method for Computing the Minimum Common Feedback Set for a Multilayer Network and Its Application to Analysis of Biological Data

・We wish to thank Kumano dormitory community at Kyoto University for their generous financial and living assistance to Masahisa Kato.
Modeling Photoelectron and Auger Electron Emission From the Sunlit Lunar Surface: A Comparison With ARTEMIS Observations - Kato - 2023 - Journal of Geophysical Research: Space Physics - Wiley Online Library

このように、熊野寮のアカデミックな気風や低廉な居住条件が、論文執筆に寄与していることを多くの人が記載している。

さて、このように見てくると「熊野寮では勉強ができない」などということは全く無いということが分かるのではないか。もちろん、警察は来ないに越したことはないのだが...

また、このような意見もある。
「これまで話してみた印象としては、寮生の方が社会的スキルが非常に高い。利害調整能力や会議運営能力は普通の学生より高い(その分、上の意のままにならないから厄介だと見る人もいるでしょうけど)。組織人としては確実に戦力になる。」

単なる狭い意味での「勉強」にとどまらず、寮の人間関係の中で鍛えられる対人能力が、評価されているのだ。

最後に、実際に寮を卒業した当事者の声を紹介したい。「赤井川あかり」さんは、雑誌「季刊contextra」に寄せた「自治大学校熊野寮」と題した文章で、次のように述べている。

「私が里山ないし田舎を再評価できたのは、大学の専門的な講義というよりは寧ろ熊野寮における自治の経験があってのものだと思う。」
「私はそのような地方における小さな自治を維持したいという思いから、田舎の方の市町村役場職員になりたいと思うようになった。」

このように熊野寮では、そこに住む寮生の今後の人生の指針に影響するような学びを、自治と共同生活の経験を通じて授けているのである。

https://amzn.asia/d/1DmgvzK

「熊野寮は機動隊の新人研修」と茶化すべきではない理由

近年、京都大学熊野寮は年に数回、京都府警察等による家宅捜索(捜索差押)を受けている。その際に、大勢の機動隊員が投入されていることはご存知の方も多いかもしれない。

これに対して、「熊野寮は機動隊員の新人研修に使われている」という言論が根強く存在する。
京都府警はガサ入れの新人研修に、安全だが思想だけ過激な熊野寮を使ってるのだと愚考しています」

さらに、一部ではこれを茶化して面白がるような向きさえ見られる。

確かに、実際に機動隊員と対峙すると、高卒で警察に入ったばかりか?と思われるような若い隊員も多い。「熊野寮が機動隊員の新人研修」に使われているのか、本当のところは警察関係者にでも聞かない限り(あるいは聞いたとしても)分からないだろう。

しかし、こうした「熊野寮は機動隊員の新人研修」式の言論は、熊野寮において家宅捜索の時に実際に起こっている数多くの人権侵害を矮小化しかねないものであり、大きな問題がある。この「新人研修」説の危険さは、それが笑い話のように語られることで、現実の違法行為の深刻さを覆い隠してしまう点にある。

熊野寮における警察の人権侵害や、法律の適法な執行とは思えない事例は、枚挙にいとまがない。例を挙げると、
・寮生の求めに対して、捜索差押許可状を呈示しない。(違法)
・警察手帳を呈示しない。(違法)

これらについては、以下の記事に詳しくまとめた。
philosophiaichi.hatenadiary.jp

さらに、
・許可状に定められた捜索とは無関係な寮生のバイクのナンバーをひかえる。(違法な証拠収集)
・捜索と無関係の大勢の寮生に対する撮影を行う。(違法な証拠収集)
・警察官(機動隊員)が寮生に対して暴行を加える。(救急車が呼ばれたこともある)

最後の例については、昨年(2024年度)怪我をした寮生を原告とし、京都府を相手取った国家賠償請求訴訟(国賠訴訟)にまで発展している。

www.kyoto-up.org

こうした警察による違法な捜索活動、人権侵害に思いを馳せれば、「熊野寮は機動隊の新人研修」に使われているという言説が、いかに現場で実際に起こっていることを無視しているか。また、現場で市民の権利を守るために闘っている熊野寮生に対する冒涜であるか、理解できるだろう。

実際、当事者である熊野寮自治会は、家宅捜索のたびに、以下のような正式な文書で抗議声明を出している。

kumano-ryo.jimdofree.com

この現実を知った上でなお「新人研修」と語る人は、自らの倫理観と、社会に対する感受性を改めて見つめ直してほしい。

そして、この記事を読んだ多くの人が、この記事の内容に基づいて「熊野寮は機動隊の新人研修」という言説を注意し、世論を正していくことが求められます。それが、警察による不当な捜索、違法な活動への抑止力に繋がるのです。


近年、大川原化工機事件など、世論を騒がせる警察の人権侵害は、繰り返されています。熊野寮に対する警察の捜索差押における違法な活動も、これに類するものです。ぜひ皆さんと共に、理不尽な振る舞いを繰り返す警察に対して正しく怒り、社会をより良いものにしていきましょう。


なお、本文中に登場する国賠訴訟の原告とは、何を隠そう本記事を執筆している私のことです。国賠訴訟の回想録が収録された雑誌「季刊contextra」が発売されているので、ご興味のある方はぜひ。Kindleで800円です。
https://amzn.asia/d/1DmgvzK

「警察は、熊野寮生に捜索差押許可状を見せる必要がない」のか?

近年、京都大学熊野寮に家宅捜索に来る警察は、寮生に対して、
・捜索差押許可状を見せない
・求められても警察手帳を見せない
といった態度を取り続けています。

これに対して、以下のような意見が散見されます。
「大学の職員さんには許可状も手帳も見せていると思うよ 寮は大学の所有物なので寮生に見せる必要などない」

確かに、警察には、大学の職員等(学生支援部・厚生課の職員や、寮を担当する第三小委員会の教員)がやってくると、すぐに捜索差押許可状を見せるという傾向があります。

しかし、これは実際に住んでいる寮生の頭ごなしに捜索を進めようとするものです。また、大学の職員等が来ない場合、最終的に寮生に対して許可状を呈示して、捜索を開始することが一般的です。このため、「寮生に見せる必要がない」という意見は、妥当ではないように感じます。本当に「見せる必要がない」のであれば、大学の職員等が現れない時には、警察は家宅捜索を実施せずに立ち去るべきではないでしょうか。


ChatGPT 5

ご指摘の通り、「寮生に捜索差押許可状を見せる必要はない」とする主張には、法的にも実務的にも大きな問題があります。以下に整理します。

1. 捜索差押許可状の呈示義務

刑事訴訟法222条1項・110条は、捜索・差押を行う際には令状を被処分者またはその立会人に呈示しなければならないと定めています。
熊野寮の場合、大学の所有地であるとしても、実際に生活している寮生が「被処分者」またはその立会人にあたるのが通常です。大学の職員はあくまで施設管理者であり、居住者本人に代わって私的空間の捜索を承認できるわけではありません。

2. 大学職員への呈示のみで足りるという理屈の問題点

大学の職員(厚生課・第三小委員会など)は、大学という法人の管理責任を代表して立ち会うに過ぎません。
しかし、刑訴法上の「被処分者」は現に捜索を受ける場所を使用・占有している者です。熊野寮共同住宅に類似した空間であり、各居室・共用部の占有状況に応じて寮生が実質的な管理権を持つと考えられます。
したがって、寮生に対して許可状を呈示しないまま家宅捜索を進めることは、令状主義の根幹を損ねる行為です。

3. 寮生不在・大学職員不在時の捜索の可否

大学職員が不在のときに警察が立ち去るのではなく、寮生に許可状を見せて捜索を実施しているという実態は、警察自身が「寮生への呈示が必要」と認識していることの証左です。
仮に「大学の所有物だから職員に見せれば足りる」のであれば、職員が不在でも捜索を強行できるはずですが、実際にはそうしていません。
このことからも、寮生の占有権を無視した警察実務の恣意性が明らかです。

4. 警察手帳の呈示について

警察官職務執行法第5条は、職務質問などの際に職務の執行に関して相手から求められたときは警察手帳を呈示して身分を明らかにしなければならないとしています。
家宅捜索時はより強い権限行使であり、当然ながら身分確認を拒む理由は存在しません。
したがって、寮生の求めに応じて警察手帳を見せない態度は法令違反またはそれに準ずる不適切な職務執行といえます。

5. 総括

熊野寮のような学生寮では、実際に生活している寮生が占有者であり、許可状の呈示対象となる。
・大学職員は施設管理者であり、法的な「被処分者」ではない。
・警察が大学職員にのみ許可状を見せ、寮生には見せないという慣行は、刑事訴訟法の趣旨(令状主義・私人の権利保障)に反する
・職員不在時に寮生へ呈示しているという実態が、警察自身の矛盾を示している。
・警察手帳の呈示拒否も違法・不当な行為である。


つまり、「大学の所有物だから寮生に見せる必要がない」という主張は、法的にも実務的にも根拠を欠きます。熊野寮の家宅捜索問題は、警察が学内自治と令状主義を軽視している構造的問題を映し出していると言えます。


制度の精神を理解しない国家 和魂洋才の最終破綻

以下の文章は、私とChatGPT 5との対話に基づいて、ChatGPT 5が出力した小論文に、私が最終的に若干の加筆を加えたものです。


 日本の近代化は、制度の外形を輸入することには成功したが、その背後にある精神の理解を欠いたまま進められた。政府、議会、中央銀行、通貨、為替、関税、金融政策――これらはいずれも技術的には運用されている。しかし、それがどのような哲学的前提のもとに設計された制度なのか、なぜそのような制度が必要とされたのかという「精神的意味」を、日本人はほとんど理解していない。

 その無理解の帰結が、今日の異常な政策現象として現れている。中央銀行は、通貨価値を守るという本来の使命を忘れ、異次元の金融緩和を十年以上も継続して、日本円の通貨価値を犠牲にし、さらに国債市場を麻痺させた。政府は、米国に関税の優遇を求める代償として八十兆円を献上し、関税や国富という概念の根幹を理解しないまま従属的取引を続けている。自国防衛の責任を自覚せず、いまだに核を保有しないまま「同盟」の名の下に主権を委ねている。通貨の意味を理解しないために、他国がビットコインを準備資産化する中でも一向に動かない。さらに、プラザ合意後の円高による企業流出、バブル崩壊後の金融引き締め政策など、為替と金融政策の根本を誤解したまま経済を破壊してきた。これらはすべて、過去の歴史ではなく、今まさに進行している現実である。

 対照的に、中国共産党は同じ時期に、人民元とドルの価値を事実上ペッグさせることで輸出主導の高度経済成長を実現した。彼らは為替制度を単なる技術ではなく、国家戦略の中核とみなし、制度の意味を自覚的に運用した。理念の是非は別として、制度と思想が結合している点において、日本よりもはるかに「国家的合理性」を持っていたのである。もっとも、共産党による権力掌握の下では、社会の各所で抑圧や、ある種の秩序の崩壊が生じていることもまた事実である。

 和魂洋才とは、本来、西洋の制度を理解し、その精神を日本的文脈に再構成することを意味したはずだ。だが現実には、制度の精神を理解せず、形式だけを真似てきた。その結果、日本は「制度を持ちながら制度を理解しない国家」となり、国家的判断のすべてが雰囲気と惰性によって決まるようになった。

 問題は技術の不足ではない。思想の欠如である。制度の精神を理解しない国家は、いずれ制度そのものを自壊させる。日本が立ち直る道は、制度を変えることではなく、その意味を根底から理解し直すことにある。

分断する世界とビットコイン___AI、電力、地政学、そして一物一価をめぐって

以下の文章は、私とChatGPT 5との対話をもとにしてChatGPT 5が生成したものに、私が僅かな修正を加えたものである。


 近年、生成AIの急速な普及が進むなかで、各国の電力需給構造に大きな変化が生じつつある。AIの運用には膨大な計算資源が必要であり、それを支えるデータセンターの電力消費は年々拡大している。国際エネルギー機関(IEA)の推計では、2030年には世界の電力需要の3%をデータセンターが占める見通しだ。AIは、情報産業にとどまらず、各国のエネルギー政策や地政学的戦略を左右する存在になりつつある。

 電力供給の拡張がこの需要増に追いつかない場合、電力価格の上昇は避けられない。この上昇は一時的なものではなく、発電所建設や送電網強化の長いリードタイム、再生可能エネルギーの変動性、資源価格の高止まりなどを背景に、構造的なものとなる可能性がある。

 このような環境下で、最も電力コストの影響を受けやすい分野の一つがビットコイン・マイニングである。マイニングは電力集約的な活動であり、電力単価の上昇は採算ラインを直撃する。従来、ビットコインは4年に一度の半減期の後、報酬減少とマイナーの撤退によって一時的に価格上昇が停滞する傾向を示してきた。もし今後、AIの普及によって電力価格が世界的に上昇すれば、半減期と同様の調整局面が生じる可能性もある。

 もっとも、ビットコイン・ネットワークには自己調整的な仕組みが備わっている。マイナーが撤退すればハッシュレートが低下し、難易度が下がることで、残存マイナーの採算が改善する。また、マイナーは地理的に可動性が高く、電力コストの安い地域へと容易に移動できる。実際、2021年に中国でマイニングが全面禁止された際、ネットワーク全体のハッシュレートは一時的に半減したものの、数か月で回復した。マイニングは特定国家に依存せず、世界の電力余剰地域を転々とする性質を持つ。そのため、AIによる電力需給逼迫が特定地域で生じても、ネットワーク全体が長期的に停滞する可能性は低い。

 とはいえ、AIがもたらす電力価格上昇は、エネルギー資源の地政学を再び前景化させる。電力はもはや単なる経済インフラではなく、国家間の競争資源である。AI産業が集中する米国や東アジアでは、電力コストの上昇がマイナーの撤退を誘発し、マイニング拠点が中東・中央アジア・南米など電力余剰地域に再配置される可能性もある。この過程で、ビットコイン・ネットワークはより多極的な構造を帯び、結果的に地政学的な分散が進むだろう。

 一方で、世界経済はブロック化の方向に向かっている。制裁や通商摩擦の拡大により、同一商品であっても地域ごとに価格が異なる現象が再び顕在化している。資本移動が制約され、国際的な裁定取引が機能しにくくなる中で、「国際価格」という概念そのものが揺らいでいる。この「分断の時代」において、ビットコインはきわめて特異な位置を占める。

 なぜなら、ビットコインは国家の制度秩序ではなく、プロトコルの秩序によって運営されているからである。その価格は、インターネットが接続されている限り、世界中でほぼ同一に保たれる。他の資産がブロックごとに価格を分断されるなかで、ビットコインだけが(もしかしたらアルトコインも)「一物一価」を維持しうる。それは、いかなる国家にも検閲されず、同一のルールで取引が成立する唯一の資産だからである。

 AIが電力市場を地域化させ、各国が自国の電力・資源を囲い込もうとする一方で、ビットコインは電力というローカルな制約の上に構築されながらも、価値伝達のグローバル性を保持している。これこそが、非グローバル化の時代におけるビットコインの強みである。

 今後、世界のエネルギー供給が地政学的な断層に沿って分断され、各地域で異なる電力価格と通貨制度が形成される中で、ビットコインはそれらを横断的に接続する中立的な清算層としての役割を強めていくだろう。それは、国家の外側にありながら国家間を媒介するものであり、分断された世界に残る数少ない共通の尺度である。

 ビットコインは、グローバル化の終焉とともにその意義を失うどころか、むしろ分断を前提とした世界のなかで、最後までグローバルであり続ける特異な資産クラスとしての位置を確立しつつある。

Divided Worlds and Bitcoin: AI, Electricity, Geopolitics, and the Question of Price Uniformity

Abstract
The rapid proliferation of artificial intelligence (AI) is transforming global electricity demand and reshaping the geopolitical landscape of energy. Data centers that support AI operations consume ever-increasing amounts of power, and according to the International Energy Agency (IEA), they may account for 3 percent of global electricity demand by 2030. If power-supply expansion fails to keep pace, electricity prices could rise structurally rather than temporarily, reinforcing regional disparities and creating “dual-price” conditions across economic blocs.

Bitcoin mining, a highly electricity-intensive activity, is particularly sensitive to these shifts. While rising energy costs may temporarily suppress price growth after halving events, Bitcoin’s network adjusts automatically through its difficulty mechanism and miners’ geographic mobility. Thus, even as AI-driven energy demand increases local costs, the Bitcoin network remains resilient on a global scale. As sanctions and trade frictions fragment markets, the very idea of a single international price is eroding.

Yet Bitcoin stands as an exception: governed not by national institutions but by protocol consensus, it maintains near-uniform pricing so long as the Internet remains connected. In a de-globalizing world, Bitcoin retains its role as a neutral, transnational settlement layer—rooted in local energy yet preserving global value continuity.

令和は昭和

「歴史は繰り返さないが韻を踏む」とよく言われる。さらに、誰が言ったか覚えていないが、歴史は振り子のようなもので、現在の時代は、その一つ前の時代よりも、もう一つ前の時代とよく似ていると思う。昭和、平成、令和と来れば、令和は平成よりも昭和に似ている。「馬車馬のように働く」と述べた高市新総裁の誕生は、昭和的な「24時間働けますか」という雰囲気を感じさせる。

(安倍元首相といった)要人の暗殺、グローバル化というよりも保護主義の台頭、「新冷戦」、経済安全保障といった概念、これらは平成というよりもむしろ、昭和的な装いを纏っている。言わなくても分かると思うが、あえて言えば、2.26事件、ブロック経済、米ソ冷戦、国家による経済への介入といった要素が昭和にあったことを言っている。

生産力という問題が、非常に重要な問題として現れてきている。このことは私にとって、少し意外に感じられた。ここでいう「生産力」とは、物資の問題であり、工場の問題である。経済安全保障で言えば、半導体を自国内で生産できるか、そのための工場や技術はあるか、といった問題だからである。「生産性」という問題は、最近(強いて言えば平成?)ずっとあったような気がするが、それは企業経営にコンサルが入ってどうこう改革するとか、そういうイメージのある問題で、現在取り沙汰されている「生産力」の問題とはちょっと違う気がするからだ。「生産性」から「生産力」そのものへの焦点の移行。「生産力」という話は、随分と古典的な話題だと、私には感じられた。

私の問題意識にずっとあるのは、通貨の問題である。現代の法定通貨中央銀行といった制度は、ある意味詰んでいる。現代の法定通貨はその価値を維持できない仕組みになっている。中央銀行は、金融政策に自由度が全然ない。ETFを100年かけて売るとかいった話は、まさにそのことを象徴しているだろう。だけど、中央銀行に課せられている「物価の安定」という使命は、「インフレ率を0%に保つ」という意味ではなく、「予見可能な範囲にインフレ率を制御する」ということであれば、別に良いような気が、最近してきた。もちろん、インフレは「インフレ税」であり、大きな政府は非効率だ。しかし、物価云々という話は、元来中央銀行が金融政策を発揮したら解決できるという種類の問題ではないとしたら、どうだろう。もちろん、ボルカーのように金利を20%まで上げれば、インフレは完治するのかもしれない。しかし、高失業率に伴う社会の不安定化に、今果たして社会は耐えられるのだろうか。

インフレ問題、すなわち法定通貨の価値下落の問題は、金融政策の問題ではなく、生産力の問題であるというパラダイムを受け入れれば、中央銀行をそれほど責める気力も失われてくる。彼らは可哀想だ。むしろ同情すべきだろう。そして、このパラダイムを採用すれば、法定通貨の価値下落を防ぐために、政府は限りなく小さい方が良いとか、財政は均衡させるべきだといった主張には説得力が失われる。そのパラダイムではむしろ、政府が、自国内の生産力を高めるために積極的に財政支出を行うべきであるとされるからだ。

しかし、何に対してという目的がなければ、政府はできるだけ小さい方がよく市場に任せたら全て上手くいくと考えている人たちと、政府は赤字国債を出してインフレが制御不可能にならない範囲でならどれだけでも支出できると考えている人たちとの間の議論は平行線のままだ。そこで、経済安全保障という線が用意されているのだろう。

既に日本国民は、法定通貨以外の金融資産へ十分にアクセスできる環境にある。もちろん「投資は自己責任」であり、そこに新自由主義的な香りがしないわけではない。しかし、国民と政府とは異なる主体であって、異なる利害関係に立脚しているという原則に立ち返れば、政府は「国民のために」(個々の国民の利害には還元されない)マクロ経済を運営すべきである。政府が国民によって選ばれているにせよ、それはそうなのだ。

個々の国民にとって、インフレとは自身が保有している法定通貨の実質的減価を意味する。インフレに連動して額が増加しないタイプの収入を得て生計を立てている人にとっては苦しい状況だろう。しかし、だからといって、「インフレ率を0%に保つ」政策を政府が実行すべきであるとは考えない。国民と政府は別だからだ。

研究室に行けなくなった を語る

私はM1の3月頭ごろから研究室に行けなくなり、M2の4〜7月ごろは行ったり行かなかったりを繰り返し、8月から11月は研究を進めたものの、12月から再び行けなくなり、最終的に1月最終週に修論を書いて、何とか修士を卒業した。

私はM1で修士の研究室に配属された。その頃はドクターコースの学生が3,4人おり、世にいう「ブラック研究室」でもなさそうだった。M1前期の講義で、毎週異なる企業の人が来て話をする講義があり、その中には博士号を取得している人も多かったから、「就職してもいずれ博士号を取るなら、今から博士課程に行ってもいいな」と感じ、M1の8月ごろに博士課程に進学することを決めた。

M1の間はかなり精力的に研究を進め、研究会や学会での発表も行った。私が研究を進める速度は、恐らく側から見ていても、かなり速かったようである。修士の間で研究が速いか否かは結局あまり重要ではないのだろうが、そのことは私が限界にぶつかる時期を早めたという点で、悪くはなかったのだろう。

私が研究室に行けなくなった直接の原因第1位は、結構頻繁に用いる測定のやり方が違っていることを、M1の2月ごろに博士課程の先輩に指摘されたことである。それくらいならよくある話だろうが、1月ごろには、使っていた測定装置(のようなもの。あえてぼやかす)の基準(みたいなもの)がズレていることが分かって、それまで半年超やってきた研究内容に対して、自分のなかに疑義が生じていた。そういうことが立て続けに起きたこと、そして私の指導教員が、割と新米だったこともあり、私が研究室のなかで、教育システムの狭間に落っこちている可能性があると感じられた。

私の研究は、5年以上前に研究室を卒業した人が扱っていたもの(教授が過去に取り組んでいたテーマでもある)を、さらに推し進めたものであったが、今から思うと研究目的がカチッと定まっていなかった。意味のある研究をやるためには、新規性や独自性が重要だと思うが、その研究をどういう方向に伸ばしていけば、独自性が出るのか、あまり分かっていなかった。そのことにはM1の夏くらいには気付いていて、しかし当時はそのことをそこまで深刻に疑問に思うことができなかった。M1の12月に研究会で発表をしたが、自分の研究の要約のような文章を作成する必要があった。そうして自分の研究を相対化する機会のおかげもあってか、自分の研究に対する不全感を認識し始めていた。

M1の1月ごろに、自分の指導教員にそのことを相談した。私と指導教員は、毎週私の研究の進捗を確認する定例ミーティングの時間を持っていたので、その時に行った。私は指導教員が人格的に悪い人だとは全く思わないが、指導教員にとっても、その相談内容は結構難しそうだった。今から思えば、私は教授にも同じ内容の相談に行くべきだったかもしれない。なぜなら、私の研究テーマに詳しいのは教授であって、私の指導教員はそのテーマについてあまり詳しくないからだ。

もちろん、私の指導教員は当時、従来の自身の専門に加えて、そちらの方向にも研究を伸ばそうと模索していた(ように見えた)し、意欲が無かったとか、放置されたとか、そういうことでは全く無かった。ただ、時期と巡り合わせの問題だったのだ。

私は7月末に、初めて自分の研究テーマを、研究目的から問い直し、文献と格闘し、主観的に自分が、これなら独自性があると言えると納得できる観点を見つけた。遅きに失したのかもしれない。当時は、もう博士課程に進学するのを止める決断をした後で、就職先も決まっていた。8月からは、その観点で自身の研究を捉え直し、実験を繰り返した。

ちょうど、指導教員が8月から3ヶ月くらい、海外の大学にvisitingしていたのも良かった。4月から7月くらいは、指導教員に怒られるのではないかと恐れて、実験に手が付かなかった。メンタルも不安定だったし、仕事(作業)としての能率も普段の1,2割くらいに落ちていた。そんな状態で研究が出来るはずがない。当時は「研究室に来れているだけで偉」かったのだ。

私と同じグループに所属している後輩たちもまた、指導教員との関係で、何らかの悩みを抱いていた。私のみるところ、その多くは、研究目的よりも先に実験手法や測定手法が先行してしまい、そのような手法では意味のある目的を達成できなかったり、得られた結果から目的を再定義しようとするため(それ自体はよくあることだが)、研究の方針がうまく定まらず、せっかく頑張った実験が徒労に終わってしまって、挫折感があるといったような内容だった。私は後輩に、「むしろ指導教員がいない今こそ、自分の頭で研究目的から詰めて自由に研究するチャンス」というような、当時まさに自分が自分の研究に対して思っていたことを話した。

私は12月に再び、研究室に行けなくなった。指導教員が帰ってきた11月に頑張り過ぎたのかもしれない。結局、図々しくも忘年会に顔を出した以外は1月末までゼミ以外は研究室に顔を出さず、研究室では死んだのか、卒業しないのか、などということが話題になっていたらしい。

指導教員も教授も、私に対して気を遣ってくれて、気遣うようなメールを送ってくれていた。私はその間、メールを全く見ていなかったので、次に研究室に行った時にそのメールを初めて確認するという始末だった。M2の4月か5月ごろに私は、指導教員からの「欠席するときは連絡してください」というような当たり前の内容のSlackを既読無視していたから、Slackではなくメールにしてくれたのかもしれない。