彼は花粉症ではないので春になると無性に窓を開けたくなる

瞼を閉じて瞼を透過して見える薄暗い部屋の光景を意識するということにエネルギーを使うと睡眠状態に移行しやすくなるという知見を得た。

 

成績を上げるというか、頭をよくするというか、そのようなことを実現するには2つの方法があるという気がしてきた。1つは未習事項を学習することで能力の入れ物の体積そのものを増大させるというものだ。自力で既存概念を新たに発明できる天才でない限りこのことは重要であると思われる。もう1つは容器の体積そのものを増加させるのではなく容器の内容物の体積を増加させるということである。よく復習が重要ということが言われるが、自分が考えるところでは、復習はこの後者に相当する活動であり、いくら復習を詰んでも容器の体積そのものが増加しないことには限界があるのではないかという気がしている。ひとことで言えばバランスのとれた予習と復習が重要ということになるのかもしれないが、自分が気づいたのはそういうことではなく、むしろ具体的に上記のイメージの方である

風呂場の電気が思い出したように数十秒消える

自分は指示語(「それ」など)を、それもかなり意識的に、使わずに文章を書いているということには数年前に気づいていたが、逆に自分が他者が書いた文章中に登場する指示語に対していかに注意を払わずに他者の文章を読んでいたかということが浮き彫りになったのはここ1年のことであって、というよりむしろ、そもそも文章中の指示語を意識的に発見したり、指示語の指示内容を措定したりという指示語運用の根幹に関わる能力が自分には欠如していたために、いまやそのような能力を十全に獲得したとまでは言わないまでも、自分は自分の文章中に指示語を混入させることを無意識的に意識して防いでいたのではないかというような気がする

 

 

プールの中で飛びながら歩行するような夢をたまに見る

macOSをアップデートしながら、ファイルを削除することでストレージに空きを作っています。128ギガ≒∞くらいの感覚でMacを使っていたところ、ストレージの空きが足りなくてiPhoneをバックアップできないと言われ、これはいけないということで大量に空きを作っている訳ですが、iPhoneMacにバックアップするたびにiPhoneの写真も同時にMacに保存される仕組みなのですが、なぜかある特定の写真群は複数回バックアップするとそれぞれ新たに別の写真として認識され、そのような写真は同じ写真が5枚も6枚も保存されておりましたので、そういうものはストレージを食い荒らすもとですから、そのような写真や文字情報を写真に撮っただけのものや不要なスクリーンショットなどを削除しまして6000枚あった写真を半分程度まで減らすことによって十数ギガの余裕を生み出した訳であります。しかしながら、このような見る者ほぼ全てにとって意味があるのか疑わしいような情報をインターネットの海に垂れ流すことは、近い将来禁止されるべきものなのではないかという考えと、このような無意味な情報でもインターネットの負荷にならないのであれば垂れ流すことを許されるはずであるという考えとが対立しておりまして、自分ではよくわかりません。自分でもよくわからないことを書くなという意見もございますでしょうが、そもそも分かるということはどういうことなのかということは本質的な問題であって、分かると断言することは責任を伴うという考えに立つと安易にわかっていると断言することは、実際のところよくわかっていないのですが、できないということになる訳であります。昨日、柳田國男の『海上の道』を購入し読み始めたところなので、読後に読後感などを述べたいと思います。自分は疲れていてもあまり寝ることができないというのは、昨日は自らの人生においてもかなり重要な日で、かなり疲れていないとおかしいと思われて、実際かなり疲れていたと自分でも思うのですが、しかしそれでもあまり寝ることが、寝ることがというより睡眠状態に入るまでにかなり時間がかかったというべきかもしれませんが、そういう状態でした。自分があまり寝ることができないというのは深夜にひとりで沈黙のうちに過ごさなければならない時間を強制されなければならないということですから、自分の人格形成にかなりの影響を与えているのではないかということが推察される訳ではありますけれども、そのことについてはまだあまり研究が進んでおりませんので、研究が進み次第、皆様に、というよりインターネットに公開できる内容であれば公開したいと思っています。書いているうちに頭に浮かぶことを続けざまに書いていて、まだ何かもう一つ頭の中にあったのですが、この前の文を書いている間に忘れてしまって途切れたので今日はここまでにしたいと思います。

ルネ・デカルトと唯物論的一元論についての評論を読みながらsuperorganismのSomething For Your M.I.N.D.が脳内再生される精神状態で

にゃーん 完

余は如何にしてコスモポリタンとなりし乎

あの地震の日から僕の身体は揺れ続けている

 


数年前から二段ベッド,1階部分は机,で寝ています。今はオーストラリアに足を向けて寝ているのですが、地磁気が原因も分からず数十万年ごとに反転するように、僕の身体も数ヶ月ごとに反転しています。

ところで、人間の脳には場所ニューロンというのがあって、例えば目を瞑っている時も、脳は自分が今どこにいるのか、周囲の空間に対してどのような状態でいるのかということが認識できるようになっているという話をかつてどこかの本で読んだか何かしました。

そして僕は今、オーストラリアに足を向けて眠っているのですが、眠るために目を瞑っている時に、実際に寝ている身体の向きとは逆向きに、つまりオーストラリアに頭を向けて寝ている状態をイメージしながら寝ています。少しでも目を開けてしまうと、この作り上げたイメージが崩壊してしまうので、眠りに落ちるまでこの意識を出来るだけキープするようにしています。

以前当ブログで僕は寝つきが悪いという話を書いたことがありますが、僕は最近、電車の中でBBCディスカバリーチャンネルを聴いて英語を勉強しているつもりになっています。僕の儚いリスニング能力では、どれほど英語を聴くことに集中していても、英語が聴き取れる部分と聞き取れない部分とがまだら模様となって出現します。それはあたかも、僕が実際に寝ている向きとは異なる向きに寝ていることを強烈にイメージすることに集中している時、実際に寝ている向きのイメージが、実際に寝ている向きとは異なる向きのイメージの間に割って入ることかのようです。

場所ニューロンに抗って何がしたいのかという声が聞こえてきそうですが、僕はそういうことをしています