今後、旅の日記を書くために用意したブログ

今後、旅の日記を書くために用意したブログです。今のところ旅に出る予定は無いので、旅の日記以外のことばかり書いています。

棋風と教養パラレル

棋風と教養がパラレルな関係にある場合、AI based-societyにおける教養の姿勢について考えられるのではないかと思った。
棋風は、棋士の性格である。何に対する性格かというと、将棋対戦上の未知の局面におけるその人なりの対応の仕方、のようなものである。
教養は、人間の性格である。何に対する性格かというと、現実における未知の局面におけるその人なりの対応の仕方、のようなものである。
将棋界は、AIの登場によって一変した。詰将棋とAI研究をきわめた藤井聡太竜王名人が、現時点で全タイトルを独占的に保有している。
そこでは、単にAIが出力する最善手を膨大な量暗記することによって棋力の向上がはかられる、という訳ではないらしい。
人間が事前に対策できる局面には限りがあり、そこから少しでも外れた局面について、最善手を暗記していないので戦えません、という式では話にならないからである。
そこで、棋士がAIの活用によってなすべきは、たとえ未知の局面であっても、最善手を導き出せるような訓練、ということになる。
そうした未知の局面に応じた対応の仕方は、棋士によって個人差が生じる。これを棋風と呼んでいる。

対して教養は、個人によって異なる。教養は、未知の局面に対応する際に個人が判断の基礎とするものである。
こうした棋風と教養というもののパラレルな性格を考えれば、われわれが教養に対して考える際に、どのようにすれば良いのかを考えるヒントになるかもしれない。
まず、教養とは、あらゆる答えを暗記するという仕方で得られるものではないことは了解されるだろう。
単純に考えるならば、たとえ未知の局面であっても、最善手を導き出せるような訓練を、(AIをもちいて)行うことこそが、人間が行うべきことである、ということになる。そして、そうした未知の局面に応じた対応の仕方の個人差のことを、教養と呼ぶのだろう。

このように単純に考えて良いのかどうかは分からないが、ひとまず第一のものとすることができるだろう。