今後、旅の日記を書くために用意したブログ

今後、旅の日記を書くために用意したブログです。今のところ旅に出る予定は無いので、旅の日記以外のことばかり書いています。

ジンバブエのハイパー・インフレから、ビットコインを考える

早川真悠『ハイパー・インフレの人類学 ジンバブエ「危機」下の多元的貨幣経済』(人文書院、2015)を読みました。
著者は、2008年〜2009年頃に法定通貨ジンバブエ・ドル(ZD)のハイパー・インフレを初めとして、社会・政治・経済が深刻な複合的問題を抱えていた「危機」下のジンバブエに、フィールドワークのため滞在していた人物です。
本書では、ハイパー・インフレという、通常経済学では単に「狂乱」「異常」とみなされるだけの状況に対して、人類学の立場からアプローチすることで、一見無秩序に見えるハイパー・インフレ下の状況に、人々がいかに秩序を見出そうとしたかを分析しています。ハイパー・インフレという極限的な状況下における、ZDをめぐる人々の様子が、一生活者としての視点から描き出されています。

人類学の先行研究によると、高インフレの経済状況下では、「複数通貨の併存」(米ドルなどの流入)と「減価する通貨の非消滅性」(ハイパー・インフレしている通貨がなお使用され続ける)の両方が起きると著者は言います。(p.38)
実際、ジンバブエにおいても、ZDのインフレ率が年間二億%を超える段階となっても、ZDが使用され続けていました。

その他の特徴的な現象としては、
・ZDの貨幣価値が現金・預金という通貨形態によって大きく異なること。(当局が預金封鎖という「金融政策」を実行し、預金の引き出しが極度に制限されていたため、預金よりも現金の方が貴重で通用力が高かった。)
・ZDが事実上廃貨となっても、一部の少額紙幣だけはその後も使われ続けること。(2009年1月に複数通貨制が開始され、外貨の使用が公認された後も、ZDが1ドル以下の少額決済のための補助通貨として使われていた。)
が挙げられます。

著者は、ハイパー・インフレという「異常」な状況は、「近代貨幣」「近代経済」が解体されるという意味では異常だが、貨幣そのもの、経済そのものが解体されるわけではないと指摘します。近代貨幣では、支払い手段、交換手段、貯蔵手段、価値尺度の四機能すべてを担う「全目的貨幣」が前提されていますが、近代以前の社会では、こうした一元化されていない、「限定目的貨幣」が併存する状況にあったと言います。ハイパー・インフレ下のジンバブエでは、「限定目的貨幣」化されたZD現金が支払い手段として用いられ、米ドルや、著者のインフォーマントのように「電話カード」を価値の貯蔵手段として用いている人もいました。ジンバブエの状況は、ジンバブエの人々が必ずしもそれを望んだわけではなく、状況に対して当惑しながら当たっている点に留意が必要ですが、近代を自明の前提とするのをやめれば、多様な市場と通貨のあり方が顕在的に現れたものとして、むしろ歴史的に見て「常態」であるとも見れるわけです。

本書の紹介はこのくらいにして、ここからは私が関心と問題意識をもっているビットコイン(BTC)の通貨としてのあり方について、本書から着想を得たことを考えてみたいと思います。

まずは、「限定目的貨幣」についての話です。
年間二億%というインフレ率のジンバブエの状況は、年間たかだか数%という日本の状況と比較して、量的に見れば、かけ離れた存在のように見えます。しかし、その中で人々が、ZDをあくまで決済手段として「限定目的貨幣」化し、米ドルや「電話カード」を貯蔵手段として「限定目的貨幣」化し、何とかやっていくという状況は、日本の状況と、質的には大きな違いが無いように思われました。
つまり我々も、普段日本円を決済手段として用いてはいるけれども、人によっては法定通貨よりも、より良く価値を保存できる手段として、株やゴールドやビットコインや、バイクやニワトリや、Apple Gift Cardや、さまざまなものに投資をしているわけで、それは日本円以外のものを貯蔵手段という意味の「限定目的貨幣」化して、扱っていることになるのではないかと思います。当然それは、日本円を「全目的貨幣」の地位から引き落とすことにもなるのでしょう。
名目のインフレ率という数字は、あくまで連続的に変化するものです。たとえ月間50%以上のインフレ率というハイパー・インフレの定義が存在したとしても、それは誰かが決めた恣意的なものです。実際には、49%と51%の間で、人々の行動が急に、質的に変化するということはありません。このようなハイパー・インフレのジンバブエの状況を考えることで、実は質的には彼我の差はほとんどないのだという視座を獲得することができます。
現在、人によっては、日本政府が国債を際限なく発行し、それを日銀が量的緩和でどんどん買い取っている状況は、いずれ日銀の金融政策の自由度を拘束し、ハイパー・インフレへの扉を開くことになると指摘する向きもありますが、あらかじめ質的には彼我の差はほとんどないことに思い至れば、急に状況が変わったからと新しいことに踏み込まなくとも、普段の延長線上で、落ち着いて事に当たれるのではないでしょうか。(無理かも)

次に、「分割可能性」についての話です。
ジンバブエでは、2009年の「複数通貨制」(事実上のドル化)開始後、外貨の小額紙幣や硬貨の供給量が多くなかったために、1ドル以下の少額決済のために、500億ZD札20枚の札束を3つセットにした「3兆ZD」の札束が「0.5ドル」として扱われるなど、ZDが流通していました。(この頃は、ZDのハイパー・インフレは収束)
つまり、額面単位が現地の価格帯に適合しない場合、必ずしもハイパー・インフレした通貨が外貨に代替されるとは限らないということです。
BTCには、10の-8乗を1とするsatoshiという単位があり、これが現時点で分割可能な最小のBTCの単位ですが、例えば2024年現在の1BTC=1000万円というようなレートでは、10satoshi=1円です。BTCの価値が(法定通貨建てで)現在から100倍程度になれば、日本の日常的な決済シーンにおけるBTCの使用は、かなり不便である可能性があります。もちろん、最小単位の下限をさらに数桁引き下げるような合意形成は不可能ではないかもしれませんが、それに伴ってBTCエコシステムがどのような影響を受けるかは見通せない部分もあり、一概に容易とは言えません。
著者によると、黒田明伸『貨幣システムの世界史 <非対称性>をよむ』(岩波書店、2003)では、貨幣の額面単位の違いによって、どのような市場空間でそれぞれ多様な貨幣が選好されるかというあり方が異なるといいます。大口取引が多い上層市場ではドルが選好され、小口取引が多い下層市場ではZDが選好されるというように。
現在、特に先進各国では、コロナ対応に伴う巨額の財政支出によって、徐々にインフレ(貨幣価値の下落)が亢進していますが、もし将来的に通貨がハイパー・インフレを起こしても、(多くのビットコイナーが密かに期待するように)全ての取引においてBTCが選好されるというわけでは無さそうです。その場合、おそらく小口の決済では法定通貨が選好され、大口の決済ではBTCが用いられるようになるでしょう。
ライトニング・ネットワークのようなLayer2をどのように考えるかは難しい問題ですが、自由が丘ライトニングマルシェにおける試みにもみられるように、現在でも既に、主に手数料の問題から、小口の決済では、BTCのオンチェーンを使うことはなく、ライトニングが選好されています。将来を見通すことは難しいですが、小口決済をめぐって法定通貨とライトニングが競合する可能性もあるかもしれません。

最後になりますが、実際に通貨がハイパー・インフレしている社会に入り、その視点からハイパー・インフレ下における現実の通貨のあり方を分析した著者に最大の賛辞を送り、記事を締めさせていただきます。