今後、旅の日記を書くために用意したブログ

今後、旅の日記を書くために用意したブログです。今のところ旅に出る予定は無いので、旅の日記以外のことばかり書いています。

「絶賛=とても」という形容詞を広めたい

音楽が聞こえてくるときがある。それは自分の外部から聞こえてくるが、決して外部の具体的な音源から流れてくるものではない。聞こえてくるのは、自分が知っている音楽だ。だが自分がそのことを意識した瞬間、音楽は聞こえなくなる。夢を見ている時、それが夢だと気付いた瞬間、目が覚めてしまうのに似ているかもしれない。無理して聞こえ続けようとしてはいけない。そのとき、それは聞こえていないのだ。それは、もしかすると環境音の組み合わせかもしれない。環境音が奇跡的な比率かもしれないが上手く組み合わさり、自分が知っている音楽に聞こえる。それはまさに寝ようとしているとき、または駅のホームなどで聞こえる。聞こえる音楽は場合によって違う。しかし聞こえてきた音楽を自分の脳内で再生しようとした途端、その音楽は聞こえなくなる。確かに外部から聞こえているはずなのに、自分の内部の要因によって聞こえなくなってしまうのだ。もしかするとそれは、自分の内部が外部の環境音を、自分が知っている音楽に変えて自分に聞かせているのかもしれない。しかし、それは自分の脳内で再生されている訳ではなく、自分の耳を通じて聞こえるのだ。そして、その場合、外部の環境音を加工している内部と、そのとき自分が知っている音楽を聴いている内部は、ともに自分の内部にあるものだが、違う内部である。あくまで音楽は外部から聞こえてくる。自分の耳を通じて。そしてそれは、意識されると消えゆき、その後、その続きは連続して聞くことができない。続きを自分の脳内で再生することはもちろんできるが、それは、その前に、聞こえてくる音楽を聴いていた状態とは違うものである。

さあイヤホンを外してみよう。あなたの知っている音楽が聞こえてくるかもしれない