今後、旅の日記を書くために用意したブログ

今後、旅の日記を書くために用意したブログです。今のところ旅に出る予定は無いので、旅の日記以外のことばかり書いています。

矛盾に満ちた京大の履修制度改革

京都大学では2020(令和2)年度からの入学生を対象に、全学共通科目(いわゆる般教)と各学部の専門科目とを併せて半期で30単位までしか履修を認めないCAP制が導入されました。詳細は、以下の学生意見箱の投稿に対する回答に、京大当局の見解がよくまとめられています。

http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/education-campus/cli/mail/documents/2020/a0483.pdf

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CAP制それ自体としては、2019(令和元)年度以前の入学生に対しても存在していましたが、それは上記の回答にもあるように、全学共通科目に限って、しかも半期で34単位まで認めるという比較的緩いものでした。

 

新しく導入されたCAP制の、半期で30単位(つまり年間で60単位)という数字は、京都大学国際高等教育院が公表している報告書にその根拠の片鱗を見出すことができます。

 

2019(令和元)年度 2回生進級時アンケート報告書:

https://www.z.k.kyoto-u.ac.jp/pdf/link/link0900.pdf?1572366982

 

ちなみに、他の各種集計結果が見たい人は以下のリンクを参照してください。

www.z.k.kyoto-u.ac.jp

 

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この報告書の26ページを見ると、グラフの下の2つ目の段落に、60単位以上を1回生のうちに取得している学生の多さを問題視している部分が見られます。また、その下にはダイレクトに、その対策として半期で30単位までのCAP制を導入することに言及しています。つまり、京都大学の見解としては、1回生のうちに60単位以上という単位取得は過剰であり、その過剰な単位数を取得している学生が多いので、制度として60単位までというCAP制を導入することで、学生の過剰な単位取得を防止しようという考えのようです。

 

だが、ちょっと待って欲しい。(某新聞の社説風)

京都大学当局は、60単位以上という多くの1回生の単位取得を"過剰"と評価する前に、自らが学生に課している138〜156単位という卒業要件が目に入らないのでしょうか。(大学設置基準では124単位)

実際に156単位が課されている学部は文学部と教育学部ですが、156という数字は大学設置基準の124と比較して、32も多い数字です。(実際には4回生は院試の勉強や卒業研究に時間を充てるので授業はほとんど取らないでしょうけれど)この32という数字は、4年間、均等に授業を受けた場合の大学設置基準における1年間の授業単位数31(124/4=31)を上回る数字です。

京都大学は、5年制大学なのでしょうか?

これだけの、まさに"過剰"とも言える卒業要件の単位数を自ら学生に課しておきながら、学生に対して君たちは単位を"過剰"に取得しているので取り締まるという姿勢は、甚だ矛盾したものだと思います。それも最初の学生意見箱の回答にあるように、過剰に授業を履修しておいて結局単位を取れない学生がそれほど多いというなら、どうして6割以上もの学生が60単位以上を取得できているのでしょうか。言ってることがおかしくないですか?(履修した単位が全て取得できるとは学生も思っていないし、自分と授業の相性がよくない場合に備えて履修取り消しの制度もありますが、結局試験前に切るか切らないかを判断することも多いです。余裕を持って少し多めに履修することは認められるべきではないでしょうか?)

私は、現行の卒業要件138〜156単位が"過剰"であるから減らせと主張している訳ではありません。京大生はみんな優秀だから(実際には2割の学生が留年しているが←笑い事ではない)大学設置基準より多少、卒業に必要な単位数が増えたとて問題ないでしょうと言うなら、それはそれで構いません。(まあ、なんで多いねんとは思いますけどね)

参考:留年について-カウンセリングルーム(京都大学)

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問題は、京都大学の立場が一貫していないことであって、156単位を卒業要件として課すなら(比較的単位が取りやすい授業が多い)1回生の間に60単位以上を学生が取得することを認めるべきであり、1回生で60単位以上も取得するのはけしからんということであれば、それこそ"学生の負担を減らす"ために、卒業要件の単位数を緩和すべきだということです。この根本的な問題に手を加えることなく、表面上CAP制を導入してみたりして実質的に学生の負担を増すだけの改革(笑)に終始しているので、当の学生から浅慮だと批判されている訳です。

 

多くの理系学部では、京大としては珍しく必修科目である重たい実験を履修しなければなりません。とするならば考えられる最善の履修戦略としては、重たい実験がある3回生で出来るだけ他の科目による負担を減らすために、1・2回生のうちに多くの単位を取得しておこうと考えるのが賢明であり筋ではないでしょうか。1回生で60単位を取得するとして標準的な京大生の履修単位数を考えてみると以下のようになります。

 

標準的な京大生(卒業要件:144単位)

1回生:30単位×2開講期 = 60単位

2回生:20単位×2開講期 = 40単位

3回生:17単位×2開講期 = 34単位

4回生:10単位(卒業研究)

 

1回生で60単位を取得して初めてやっと、2回生から大学設置基準124単位の他の大学並みの忙しさになるのです。実際には、履修した単位が全て取得できるとは限らないから(そのために京大は自ら、肌に合わない授業を取り消すことができる日程を開講期の中頃に設けています)CAP制の上限を60単位に設定することにはやはり問題があります。(何より、既に多くの学生が60単位以上を1回生で取得できることはデータが示しているではないですか)

 

 

今年9月には"ゴリラ"こと山極壽一総長の任期が切れ、新しい総長に変わります。単位の実質化に始まり、立て看板の設置に対する規制と撤去、学生のセーフティネットとして重要な学生寮である吉田寮に住む学生への提訴、半世紀も前に制定され半ば死文と化していたような規定を持ち出しての大学職員による学生の自由な言論活動に対する妨害、これまた大学職員による暴力に対する正当防衛を理由とした学生への停学・退学処分、大学設備を人質に取るような手法でNF(学園祭)に対して日程短縮の圧力をかけた騒動など、学生をはじめとした関係者が長きにわたって築き上げてきた日本に誇る京都大学の文化を、ここ数年京都大学が自ら破壊しようとしているように見えるのは誠に残念です。

 

後編:

自作自演な京大の履修制度改革 - 今後、旅の日記を書くために用意したブログ

に続く