今後、旅の日記を書くために用意したブログ

今後、旅の日記を書くために用意したブログです。今のところ旅に出る予定は無いので、旅の日記以外のことばかり書いています。

(The picture of L. shinanense)

 

Good human relations between people who are gathered by the conditions of a situation which end when the situation also ends are very brief and beautiful if people do an essential survey in the situation. “Once-in-a-lifetime is a very good word in order to explain this idea.

 

I took a course. I went to Mt.Kiso-Komagatake in Nagano Prefecture in Japan. I watched many plants and flowers there. They grow in the high mountains. Mt.Kiso-Komagatake is the highest mountains in the Kiso mountain range in Japan.

 

 

I waited in about three hours under the sun. I talked with a person who also waited. I felt that when people start to communicate about 5 million years ago, people would feel as if I felt then. The shoes of hers are the same as mine and the shoes of hers are different from mine. GDP is Gross Domestic Product, but in Japanese people call GDP as 国内総生産. 国内総生産 means DGP. Why Japanese People!!!??? A teacher of mine often said that modifying phrase is more subjective as the phrase comes before other phrases. I did not find any words like GDP. I took the wrong seat and the bus started. I hear that all of the beetles and stag beetles there are female. When we fight against the colorful cricket”, a professor came. I felt the Doppler effect...

 

 

Mt.Kiso-Komagatake is the highest mountains in the Kiso mountain range, but we can go to 2612 meter above the sea level without climbing. I walked behind the professor. C.chamissonis is one of the most pretty and sweet flowers of all of the flowers blossomed at Senjojiki cirque at that time. Alpine flowers are very beautiful.

 

A sea of clouds. When we are at Senjojiki cirque, we saw the highest mountains although clouds prevented me from seeing it. People in our group treated Carex as small things. We have to tell R.acris ssp.novus from T.japonicus. I knew the semi-parasitic plant for the first time and I watched Aconitum for the first time. Cutting your brother is bad.

 

Mt.Houken is a high mountain. I respect many plants living in the high mountains. I hear that L.shinanense is the smallest Edelweiss in the world. The article of Wikipedia in Japanese must be revised. It is true that L.shinanense was once registered on the Class 1A in the Red Data Book of Nagano Prefecture, but after 2014 it is registered on the Class 1B in it. The Associate professor crossed a red line. I rarely saw D.peregrina.

 

A plastic bottle appeared and disappeared. 20xx meter. A person delayed. It was difficult to keep connections. I always walk behind the professor. I did not know the accurate altitude of Mt.Nakadake, but I found that Mt.Nakadake was high. Climbing down the mountains was easy. A woman doubted that we had been fighting against the cricket at the risk of our life last night and she tried to understand the cirque. We did not find var.camtschatcensis.

 

Illustrated books of alpine flowers are more useful when you are in cabins than when you are climbing the mountains. My head felt heavy probably because I climbed down the mountain by using the aerial cableway. Thunder started to roll at 15 oclock. People did not knock on the door of the cabin and they knock on the door 3 minutes before 18 oclock. We saw then forest fire. We stayed in the cabin for a long time and I end up going to every one. A sweetfish was not eaten by anyone and watermelon was eaten by everyone. The color of the content of the watermelon was yellow. A boy came. The flow of everyones thought was often disrupted, so the place from which the pieces of the watermelon came and into which the pieces of the watermelon went were the same. It always has got dark and we could get into the manhole. Genghis Khan was doing repeated sidestepping. He illuminated my face with a flashlight.

 

 

There are various kinds of trees. In them, I found a kind of tree from which people used in order to get the xylitol. I took a smell of the branch of L.umbellata. There people destroyed the trunk of B.platyphylla as if a herd of deer does so. We should know more clearly specialists. The number of people remained gradually was decreasing, so I felt sad a little. 

 

I went to Komagane station. There are no convenience stores and I only found a supermarket in front of the station. Half of the stores in the shopping arcade on the uphill path did not run. You can enjoy your lives by talking with many people whose names or personalities you do not know who are gathered by the conditions of the situation. Thank you.

(ヒメウスユキソウの写真)

ある場の条件によって集められた人々の、その場の解散をもって終了してしまう人間関係は、場で本質的な活動が行われるならば、とても儚く美しい。一期一会という言葉は本質を突いています。

僕はある授業で長野県にある木曽駒ヶ岳での高山植物の観察実習に参加しました。木曽駒ヶ岳中央アルプスで最も高い山です。
日陰の殆どない炎天下で3時間。僕は同じ境遇の人と会話をし、初期の共認機能の形成を実感しました。靴は同じでもあり、違ってもいました。GDPはGross Domestic Productなのに何故、国内総生産であって総国内生産ではないのか。修飾は先に来るほど主観的と言われていますが、同様の境遇にある言葉は見つかりませんでした。僕は席を譲り、輸送されました。カブトムシやクワガタムシは全てメスだった気がします。「縞々色のコオロギ」と戦い教授がやってきました。ドップラー効果は去っていきました…

木曽駒ヶ岳はとっても狡い山です。中央アルプス最高峰を名乗りながら、"2612m"までは"文明"が露骨に及んでいます。僕はずっと教授のすぐ後ろを歩きました。チシマギキョウは其の時に千畳敷カールに咲いていた凡ゆる中で最も可憐で愛おしい花であると思います。高山植物は美しい
雲海。千畳敷カールからは雲こそありましたが最も高い山がありました。"スゲ"は虐げられていました。ミヤマキンポウゲシナノキンバイは見分けられねばなりません。初めて、半寄生植物を知り、トリカブトを見ました。弟を切るのは良くないです。
剣岳は高いです。植物はたくましく生きています。ヒメウスユキソウは世界で最も小さいEdelweißと聞きましたが、Wikipediaは修正されるべきです。長野県のレッドデータブックではかつてはⅠA類に指定されてあったのかもしれませんが、2014年以降はⅠB類です。准教授は越境していました。コマクサはあまりありませんでした。
ペットボトルを出して入れ、二千九百数十米。ある人は遅れました。接続は不安定でした。僕はずっと教授のすぐ後ろを歩きました。中岳は何米かは知りませんが高いです。下りは楽でした。ある人は死闘説を批判し"カール"を理解しようとしていました。クロユリは見つかりませんでした
植物図鑑は行動中というよりもむしろ平時において役に立つものです。急激な気圧変化に身体の順応が追いつかず低山病になりました。天気はどうぶつの森でした。ノックはなく、ノックは3分前でした。僕たちは"山火事"を目撃しました。籠城し派遣されました。アユは食べられず、スイカは食べられました。スイカは黄色く、青年がやってきました。思考は中断され来し方行く末は同じでした。辺りは暗く、マンホールには穴が開いていました。ジンギスカンは反復横跳びをしていました。彼は照らしました。

木は様々で、キシリトールがありました。僕はクロモジを気体として吸っていました。人々は鹿になり、シラカバを破壊しました。私たちは専門家を知らないだけだと思います。人は徐々に減り、そこには哀愁が漂っていました


駒ヶ根駅に行きました。駅前にコンビニはなく、スーパーは営業していました。上り坂のバリケード商店街のシャッターは半分閉まっていました。場によって集められ、姓名も背景も知らず会話をした二度と会わないかもしれない多くの人々との接触によって生はより豊かになるものと僕は思います。ありがとうございました

「法則」に従っていない京都の交差点の名称一覧 -Wikipedia

出町柳(川端今出川

百万遍(東山今出川

高野(東山北大路)

祇園(東山四条)

円町(西大路丸太町)

北野白梅町西大路今出川

天王町白川通丸太町)

二条駅東口(千本御池)

高野橋東詰(川端北大路)

双ヶ丘(天神川丸太町)

金閣寺前(西大路鞍馬口

泉湧寺道(東山九条)

大石橋(竹田街道九条)

短編小説『十二』

『十二』

ここは大阪国立キタノ高等学校。大阪国全土から、天が二物を与えたもうた神童が3学年1000人在籍している。毎年、東京国の方の大学に100人以上が現役合格する大阪トップの神学校であり、学歴偏重主義の現代において、二大進学塾たるR塾とM教室での特別英才教育を受けた生徒が99%を占める。
キタノ高校が世に排出した著名人と言えば、ニッポンのヒトラーが有名だ。口は達者だが、豊臣太閤殿下の時代より続く「大阪独立」のナショナリズムの斜め上をゆく「大阪首都化」の暴政で国民の怒りを買い、市民革命によって処刑された皇帝である。また政治家では他にも、ウチワとビラの区別がつかない国務大臣や「3日に1回のペースで自宅とキノサキ温泉を往復できる」特殊能力の副作用で難聴を患った議会議員など、到底大阪トップの神学校が世に排出したとは思えない面々が顔を連ねる。これは偏に、当時の大阪が春秋戦国時代であり、大阪が9つの「学区」に分割されていた事に由来する。つまり、彼らは大阪全体から選ばれたエリートではなく、大阪の9分の1の地域から選ばれたエリートに過ぎなかったという事だ。なるほど。後に9つは4つになり、4つは1つになる。その1つにあるのが、今のキタノ高等学校である。
だが大阪の春秋戦国時代は遥か昔であり、本当のところは誰にも分からない。当時の1学区からは4学区を観測できず、4学区は伝説上の存在であった。従って圧倒的に資料が少なく、研究が遅々として進んでいないのが現状だ。それでも前述のおかしな人たちが発生した理由として春秋戦国時代説が現在有力とされている。国の成り立ちとはそういうものなのだ。古事記や日本書記といった古文書で、ニッポンの成り立ちも上手く説明できると、そういうことらしいのだから。
少々脱線したが、まず、前提としてキタノ高校は、校則として駅から高校までの徒歩を生徒に義務付けていることを理解しておく必要があろう。インフラストラクチャーが完璧に整備された現代だから、その光景は想像に難いかもしれない。しかしキタノ高校は真冬に至るまでプールの補講を生徒に課すという、ハマデラ水練スクールもビックリのスパルタさで文明に頼らない授業を展開しているので、このくらいは朝飯前というものだ。中にはこの校則を守らずに、バイクで登校したり、時の権力者が建設した高校前のバス停留場から徒歩を試みる猛者もいるが、外周防衛システム「SEKOMU」によって侵入を阻まれ、到達できたものはいない。
キタノ高等学校の最寄駅は2つ存在した。JRが解体して設置された国鉄の「ツカモト駅」と、3本の太い幹を持つ鉄道会社の根っこである「ジュウソウ駅」だ。最寄駅とはいっても8割以上の生徒は「ジュウソウ駅」を使用しているが。
では、一体「十二」とは何なのだろうか。あなたも気になって仕方がない事であろう。それは単なる数字なのか、ニッポン語なのか、地名なのか。はたまた郷土愛のようなものなのだろうか、判然としない。
近代科学は、自然の中に普遍性、共通性を見出し、それを法則や理論といった文字にすることで発展してきた。ある日突然、物理法則が変わって電気が生産できなくなり電車が動かなくなる事はない。科学の信頼を背に、技術もまた進歩してきた。
毎朝、寝不足で朦朧とした意識の中、あなたが降りようとしている駅は本当に「十三」だろうか?そんな事を気にせずとも「十三」はいつもここにある。誰もがそう思っている。あなたが昨日の晩に食べた米粒の数で、明日いつも通りに降りるはずの「十三」が「八」になったり「三十五」になったりする事はない。これが今までの近代科学の考え方である。
しかしその近代科学は揺らいでいる。どこかで道を間違え、核の恐怖に人類は怯えている。遂には、近代科学は間違っているので、近代科学の理論に基づく核など存在しないと宣う輩が現れる始末である。全否定は出来ないにせよ、笑い飛ばす事は難しいだろう。昨日の常識は明日の非常識になる。価値観が目まぐるしく変わる世界を我々は生きている。
あなたが毎朝降りる駅は果たして本当に「十三」なのか。「十二」ではないだろうか? 一体それを毎日きちんと確認している人がどれ程いる事か、我々には分からない。「十二」と「十三」の違いは微々たるものである。「七十四」くらいになってくると、ホラーゲームの如く、ドアの向こうにはホームもなく人もおらず、混沌とした闇の世界が広がっていそうなものだが。
この世界は一つではない。一人一人が違う世界を生きている。あなたの目の前の現実が本当に存在するのか、それすらも確かではない。世界を疑う事が現代の我々には必要だ。あなたの脳はどこにあるのか、水槽の中ではないだろうか。
我々の「十二」はどこにあるのか。
答えはあなたの心の中に眠っています。
がんばってみつけてください

Stravinsky『春の祭典』とモンスターハンター『咆哮』が酷似している件

題名の通りです。

ストラヴィンスキー

(英:Igor Fyodorovich Stravinsky、露:И́горь Фёдорович Страви́нский)

作曲の『春の祭典

(英:The rite of spring、露:Весна священная、仏Le sacre du printemps)

カプコン発のゲーム『モンスターハンター』シリーズを代表する曲の一つと言って差し支えないと思われる『咆哮』(森丘戦闘BGM、リオレウスのテーマ)が似ているという話です。

グダグダ喋るより、実際に聞いてもらった方が早いと思うので、この記事の下の方にリンクを貼りました。

具体的には以下の動画リンクの『春の祭典』の23分30秒〜25分05秒あたりが該当箇所です。『咆哮』の方は1分程度の動画なので、聴き比べていただけたらと思います。

 

 

なお、当然のことながら『春の祭典』よりも『咆哮』の方が世に出たタイミングは後な訳ですが、だからと言ってこの記事は、『咆哮』はパクリだ!などと主張するものではありません。あくまで、この記事を書いた動機は純粋にこの2つの音楽(片方はその一部分ですが)が似ているということに自分が気付いたということを共有したかったからであり、そもそも2つの音楽がどれくらい似ているかというのは個人の主観の問題の域を出ません。

もちろん、『咆哮』を作曲した甲田雅人さんが予め『春の祭典』を念頭に置いて『咆哮』を作曲したという可能性もあります。もしかすると既に甲田さんがTwittermasato coda (@mtocoda) | Twitter)などでその手の話をしているかもしれませんが、僕は彼のツイート履歴を全て確認した訳ではないので、詳しくは分かりません。

『咆哮』は『モンスターハンター』シリーズをプレーするハンターなら知らない者は居ないと言えるほど有名な音楽だと思います。少なくとも『春の祭典』を知っているハンターより『咆哮』を知っているハンターの方が確実に多いはずです。甲田さんが『春の祭典』を土台にして『咆哮』を作曲したかどうかは分かりませんが、もしそうだとするならば、100年前の偉大な作曲家の音楽を現代のゲーム音楽の文脈に載せてアレンジした(そしてそれは成功している!)甲田雅人氏は天才だと思います。

春の祭典』は良い曲なので、ぜひ35分聴いてみてね。

 

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参考文献

春の祭典 - Wikipedia

イーゴリ・ストラヴィンスキー - Wikipedia

甲田雅人 - モンハン用語

彼は花粉症ではないので春になると無性に窓を開けたくなる

瞼を閉じて瞼を透過して見える薄暗い部屋の光景を意識するということにエネルギーを使うと睡眠状態に移行しやすくなるという知見を得た。

 

成績を上げるというか、頭をよくするというか、そのようなことを実現するには2つの方法があるという気がしてきた。1つは未習事項を学習することで能力の入れ物の体積そのものを増大させるというものだ。自力で既存概念を新たに発明できる天才でない限りこのことは重要であると思われる。もう1つは容器の体積そのものを増加させるのではなく容器の内容物の体積を増加させるということである。よく復習が重要ということが言われるが、自分が考えるところでは、復習はこの後者に相当する活動であり、いくら復習を詰んでも容器の体積そのものが増加しないことには限界があるのではないかという気がしている。ひとことで言えばバランスのとれた予習と復習が重要ということになるのかもしれないが、自分が気づいたのはそういうことではなく、むしろ具体的に上記のイメージの方である

風呂場の電気が思い出したように数十秒消える

自分は指示語(「それ」など)を、それもかなり意識的に、使わずに文章を書いているということには数年前に気づいていたが、逆に自分が他者が書いた文章中に登場する指示語に対していかに注意を払わずに他者の文章を読んでいたかということが浮き彫りになったのはここ1年のことであって、というよりむしろ、そもそも文章中の指示語を意識的に発見したり、指示語の指示内容を措定したりという指示語運用の根幹に関わる能力が自分には欠如していたために、いまやそのような能力を十全に獲得したとまでは言わないまでも、自分は自分の文章中に指示語を混入させることを無意識的に意識して防いでいたのではないかというような気がする