今後、旅の日記を書くために用意したブログ

今後、旅の日記を書くために用意したブログです。今のところ旅に出る予定は無いので、旅の日記以外のことばかり書いています。

旅に出るたびに強くなる

この記事は、Kumano dorm. 2nd Advent Calendar 2022の3日目の記事です。

 

私はこのAdvent Calendarで、知人の記事しか読んでいないし、出来事より内面が書かれている方が面白いと思ったので、想定読者は私のことを知っている人。内容は出来るだけ内面に近づけようと思います。でも出来事と内面を切り離すことは恐らくできないし、面白いのは具体的に書かれているからのような気もします。

 

2022年を振り返るのは難しいですね。2022年を振り返ろうとすると、もっと前の要素を引っ張ってくる必要があるから。端的に歴史の話をしましょうか。私が大学に入学したのは2019年4月で、初動の問題か、あるいは時間をかけても無理だったような気もしますが、集団に属すことに失敗しました。なので私が、この人は私の「大学の先輩」だと胸を張って(?)言える人は2人しかおらず、その2人に順番に師事する系譜の中で、ここが視界に入ってきたということになります。ただし、それより前から知っている同期との関係、とりわけ入寮する少し前における関係も、重要な要素ではあったと思います。

今年の入試の日か、その前後くらいに京大の正門を東一条通に向かって自転車で抜けようとした時、吉田寮の人が入寮パンフを渡してきました。その時の私は寮に入るということをそこまで真剣に検討していなかったので、半分冷やかしのような感じで、少し興味ある風を装って、吉田寮って住めるんですか、古い方の建物は云々というようなことを質問し、ちょっと話を聞いてみました。その間に熊野寮の人が入寮パンフを私の自転車の前かごに入れてきて、私は2つの寮の入寮パンフを手にすることになった訳です。その後家に帰って、主に吉田寮の入寮パンフを読み込むうちに、低い可能性として、寮に住む可能性について、自分の中で考え始めました。

私はその頃は実家に住んでいて、京大に通うならば片道1時間半以上かかる距離でした。1回生は毎日授業に出るために往復3時間していましたが、2020年にコロナの世界になって以後は、大学にあまり行かなくてよくなったので、京大の近くに住むことを考えなくなっていました。しかし、3回生後期が始まる頃から先程の「2人目の先輩」に師事するようになって、夜遅くまで大学の近くで活動してから実家に帰るのが苦痛になってきました。そこで京都における何らかの「拠点」の必要性を感じた状態で、3回生の春休みを迎えることになりました。

直接的な契機となったのは、3月上旬に家族でスキー旅行に行った時でした。母親が体力があまりなくて楽しくないので、スキーに行きたくないが、それを父親に伝えることはせず、私にだけその話をして、旅行中もそんなことを言っているので、私は嫌な気分になって、こんな家で暮らし続けたくないと思いました。4回生は研究室に配属されるので少なくとも平日は毎日大学に行かなければならないことが予想され、3回後期の経験から、実家と往復する生活はすぐ限界になることが明らかだったので、家を出る方法を考え始めました。

下宿、寮(熊野寮吉田寮)、その他(シェアハウス等)が選択肢として存在しました。下宿をする場合、ネックは月数万円の単位で家賃等が必要になることです。これを自分の労働のみから支出するのは不可能であるため、親と交渉する必要がありました。しかし、先述のような経緯や、自分が親と(特に父親と)何かを交渉しようとすると、大体不機嫌な顔になって甚だ面倒なことになることが今までの22年の経験で明らかだったので、それをしないということにしました。住めそうなシェアハウスも一瞬選択肢として存在しましたが、これも親に説明するのが甚だ面倒になりそうだったので、結果的には採用になりませんでした。

寮に住む場合、熊野寮吉田寮の2つが候補としてありました。最初検討したのは吉田寮の方です。入寮パンフを読み込んで、入寮後の生活をイメージしてみました。まず食堂が無いので自炊する必要があり、私は料理をせずに実家で育ったので自分にはこの難易度がまあまあ高く感じられました。加えて、入寮後しばらく(数ヶ月?)は自分の部屋がなく、広い空間で雑魚寝になるというようなことも書いてあり、これは研究室配属後の生活によってはリスクとなり得ると思いました。机で勉強するということが難しいのではないかと思ったからです。ただし、実際には研究室以外の場所で院試勉強するということはほとんどありませんでした。

入寮面接時に提出する書類を見てみると、親の年収みたいな数字を書く欄があり、これが決定的な要因となりました。私はこの実家から出るための一大事業を、親に何も言うことなく進めようとしていたので、親の年収を親に聞くことは、それに反することになります。適当な数字を書いても良かったのかもしれませんが、他にも何か書類を提出する必要があったのかもしれません。吉田寮にほぼ知り合いがいないこともあり、吉田寮は選択肢として一旦保留ということにしました。

そうするといよいよ、熊野寮しか無いわけです。熊野寮の入寮面接時に出す書類には、親の年収を書く欄がなく、これはいけると思いました。食堂があるので基本的には自炊しなくて良く、高校時代から知っている同期を始め、知り合いも5人くらいはいたので、入ってから人間関係で詰むということは無いようにも思いました。また、これはいずれの寮にも共通ですが、家賃が月数千円なので、自分の貯金だけで何とかなるということも、大きな要素でした。

一つ懸念していたのは、入寮してからどれくらい寮の「仕事」をしなければならないのか、ということでした。入寮後の私の姿しか知らないあなたからしたら、そんなことを考えていたのかと驚かれる人もいるかもわかりませんが、そんなことを考えていたのです。院試勉強という未知があり、院試に落ちると路頭に迷う(と思っていたし、今でもそう思っている)と思っていたので、勉強時間が確保できないと厳しいと思いました。そこで、スキー旅行から帰ってきたあと(3月11日か)に、寮に3年くらい住んでいる友人に、どれくらい仕事があるのか聞いたら、そいつも最近あまりやっていないし、どうとでもなるというような説明を受け、じゃあまあいけるかあという気持ちになって、入寮面接の書類を書き始めました。

3月12日は土曜日で、そして多分5日ある面接日程のうち最終日だったと思います。住民票のコピーか何かが要るので、コンビニでマイナンバーカードを使って(私の人生で唯一マイナンバーカードが役に立った瞬間)出力して、熊野寮に行きました。着いたのは昼過ぎくらいだったと思います。恐る恐る入って、書類やら何やらをリュックから出して、待っているとすぐ、食堂に通されました。面接官は2人で、最初にこの面接は落とす目的でやっているものではなく、寮に入るために必要な前提を確認するためにやっています、みたいなことを言われ少し安心した覚えがあります。寮とは自治とはみたいなことが書かれたプリントを、部分ごとに読んでは質問が無いか聞かれ、内容は理解できたと答えるみたいなことを何ラリーかやりました。私も薄々気づいていたのですが、面接官のうちの1人とは実は面識が、面識というより電話識があって、その話をされて少し驚きました。その内容について詳しく知りたい人は、私に直接聞いてください。

その日家に帰ったらたまたま父親と会って、珍しくどこに行っていたか聞かれたので「熊野寮」と答えましたが、「京大の寮?」と言われた以上は何かを聞かれることはありませんでした。何日後かにメールがあって、入寮できることが決まりました。親に熊野寮に住むと言ったのは、3月31日の夜で、明日から熊野寮に住むからもう晩ご飯は要らないと言ったら、反対されるかと思ったけど、驚かれはしましたが、母親は感慨深い感じでした。父親は引っ越しの荷物を運ぶ車を出そうかと言ってくれましたが、そんなにすぐに大量の荷物を持っていくつもりは無かったので、断りました。

 

2022年の話をするつもりでしたが、入寮までの話になってしまいました。3000字超えているので、ここで一旦終わりにしたいと思います。ここから先は、要素が多すぎて、簡単には書けないような気がします。ただし、この日を境に、私の大学生活は大きく変わることになります。多くの人との出会い、少ないが重要な人との別れ、私という人間の思考・行動に及ぶ大きな変化。旅に出て、帰ってくるたびに何かを得て、悟りを得て、強くなったと思える体験。個人ではなく、組織というものとの関わり。将来のことではなく、今この瞬間のことを考えて生き、行動すれば、将来もきっと大丈夫だという自信。そして、自分の行動が、選択が、思い立つことが、自分にもたらす結果と意味。こういうものは全て、入寮前の自分には無かったし、入寮後の自分にはあると、言えるもののような気がします。私の2022年は、そういう意味で、旅に出て強くなったんだと思えます。

ハイパーインフレか債務調整か

諸国のコロナ禍における現金給付に端を発するインフレ*1が、ウクライナ危機で更に加速し、その勢いが日本にも迫りつつあります。インフレへの処方箋として各国中銀が利上げ*2やバランスシート*3の縮小を開始する中、金利差の拡大に伴うと見られるドル高も合わさって海外インフレの国内波及は既に始まっています。日本銀行は依然としてイールドカーブ*4コントロール(長短金利抑制)という国債購入を通じた金融緩和を継続しており、引き締めへと転じる様子は皆目ありません。確かに、足元の物価上昇は海外起因の一過性であり、直ちに金融政策を大きく変更する必要は無いという黒田総裁の見解も、もっともに聞こえます。しかし、今後インフレが更に進行した場合、日銀が適切な金融政策を取り得る余地は、果たして残されているのでしょうか。帰結がいかなるものになるのかを、河村小百合氏と藤巻健史氏の見解から考えます。

 

問題の前提は、黒田日銀が2013年から行っている「異次元の金融緩和」の出口戦略を10年近く経った現在に至るまで、黒田総裁を初め「誰も」提示できていないことにあります。驚くべきことに、黒田総裁は国会答弁で出口戦略を問われても毎回「時期尚早」と答えるのみに留め、出口戦略を述べたことはありません。これは、政策を開始する前に出口まで見通し、議会など公の場で議長らが繰り返し説明する米国FRBや英国BOEの姿勢と比較して、最悪の状態と言えるでしょう。(各国中銀の比較は河村氏の文献を参照)

 

そのため、まともな出口(ソフトランディング)は存在しないと考えられています。2022年7月4日放送のBS番組「報道1930」でも、その点においては3人の識者の意見が一致しています。3人の意見の相違は、問題解決のための時間が残されているか否かでしょう。

日銀“異次元”死守のツケ 海外ファンドとの攻防【7月4日(月)#報道1930】 - YouTube

本稿では、出口(ハードランディング)がいかなるものになるのかを検討し、個人が取れる対策についても考察します。

 

問題の本質は、日銀という中央銀行債務超過が日銀と日本円の信認に与える影響が、どのようなものになるかです。世界的にインフレが加速し、海外中銀による利上げが、日銀に対しても利上げ圧力として働く中、発行済み日本国債の実に50%以上を保有する日銀は、2022年の今、現実的に債務超過のリスクに晒されているからです。金利が上がると国債価格は下落し、10兆円程度の準備資産しか持たない日銀は数%の金利上昇にも耐えることができません。「日銀は中央銀行であって、自らお金を刷れるから問題は起きない」という程度の理解では、問題の本質を理解することはできないでしょう。(詳細は、後ろの※を参照して下さい。)

 

藤巻健史氏によると、中央銀行債務超過しても問題が起きないとされる条件は3つに纏められます。

1、債務超過が一時的

2、金融システムの堅持のためであり、中央銀行の金融政策はきちんと行われている。

3、国家財政が健全か最低限黒字化に向かっている

保有している外貨準備の自国通貨建ての評価で、中銀が債務超過することは珍しくありません。2015年にフラン高による為替差損を被ったスイス中銀などです。

今回、日本・日銀が接すると目される債務超過はこの3条件全てに反しています。第1に、日銀保有国債の平均残存期間は7〜8年と目されており、そのようなことが可能とは思いませんが仮に今から新規国債購入を一切停止して償還していっても、それだけの期間債務超過であり続けます。なお、日銀は満期保有を前提に国債保有しており、国債時価評価していません(これは米国FRBも同様)。そのため債務超過にはならないとの見方は可能ですが、外部の人間が日銀・日本円に対する評価を行う時、日銀自身の評価方法はそれとは無関係ではないでしょうか。中央銀行に対する信認の基礎はひとえに「信用」に尽きるため、大勢の人が日銀は信用を失ったと思えば、日本円を手放し始めるでしょう。それは日本円の価値が無くなっていくことを意味します。

第2に、そもそも日銀が2013年から行なっているのは「非伝統的金融政策」であり、実験です。効果や影響が事前に検証されているものではありません。当初2年で終わるとされていた実験も10年近く続けています。効果も行く末も検証しながら慎重に実験を進めている欧米諸国の中銀とは異なり、出口戦略すら説明されない日銀の金融政策は正しく行われていると評価することはできません。

第3に、日本の国家財政が火の車であることは周知の事実です。政府だけで1000兆円以上の債務があります。*5日銀が危機に瀕しても日本政府が税収で助けられるなら良いですが、現状はそうではないということです。河村氏の論考にあるように、イングランド銀行はバランスシートの拡大を始める際に、買い入れのための主体(APFと呼ばれる。BOEの「子会社」)を中央銀行本体とは別勘定で作り、出口の際に生じる損失は英国政府が補填することを予め決めた上で、量的緩和に臨んでいます。英国が中央銀行の財務体質にいかに注意を払っているかが分かりますし、また払わなければならないということです。BOEは1694年からある中銀界の老舗です。

 

それでは、このような事態の帰結はいかなるものになるでしょうか。

藤巻健史氏によると、日銀は債務超過によって信認が失われ、日本銀行券に対する信用も失われると言います。つまりハイパーインフレ*6です。為替レートは当初こそ円安に進むでしょうが最終的には恐らく機能せず、紙幣は紙クズになります。第一次大戦後のドイツのように、財務体質が健全な中央銀行を新しく作り、新円を発行することで事態の収拾が図られるとされています。

河村小百合氏によると、終戦後日本のような巨額の、暴力的と言える債務調整が行われるとされています。巨額の債務返済のために大増税がかけられ、国内外の資本移動は規制され、日本企業のグローバルな活動に支障が出ます。国民が銀行から引き出せる預金額も制限されます。実例として、2008年に国内メガバンク3行が連鎖倒産したことに伴う救済により財政が悪化したアイルランドが挙げられています。アイルランドは2008年から2017年までの約9年間、上記のような重税・資本移動規制がかけられており、島国でありながら、人口の3%が国外へ流出したと推計されています。

 

このいずれの事態が実際に起きるか否か、複合的に起きるのか、あるいは全く別の事態が生じるのか生じないのか、私には分かりません。ただし、このような事態が可能性としてアベノミクス開始後の比較的早い段階で予言されていたことは記憶に留めておく価値があると思います。。しかし、まだ決定付けられた訳ではありません。一有権者としての私たちが、政府に健全な財政運営をするように求め(コロナ禍の一律現金給付を無批判に喜んでいてはいけないということです)、税負担を受け入れることで、日銀のバランスシート縮小と政府債務の対GDP比での低下が見込める可能性は残されています...(無理筋かもしれませんが…)。

 

このような事態に接して、個人にできる対策は何でしょうか。

藤巻健史氏は、ハイパーインフレ対策として米ドルや暗号資産を持つことを勧めています。日本円に価値が無くなるので、日本円以外の通貨や資産を持つということでしょう。

しかし、巨額の債務調整を想定すると、その種の対策は有効かどうか分からない部分もあります。いくらドルや暗号資産に変えたからと言って、資産を所有していることには変わりないからです。ハイパーインフレと債務調整が同時に行われる場合には、有効な対策になり得ると思います。注意すべきは資本移動規制です。銀行の外貨預金は銀行倒産時の補償の対象外なので言うに及びませんが、銀行等を利用する公的な送金には規制がかかる可能性があります。ビットコインの送金を禁止するためにはインターネットを規制する必要があるため、銀行送金よりは安全と思いますが、国内の暗号資産交換業者が破産する可能性や、暗号資産を円転した後の銀行引き出しは同様に規制の対象となる可能性があります。今のうちにプライベートウォレットの扱いに慣れておく必要があると思います。

 

ここまではハイパーインフレと債務調整という非連続的な事象の発生を想定してきましたが、最後に連続的な問題解決の可能性について触れておきたいと思います。

日銀が債務超過しないか、あるいは債務超過したとしても日銀に対する信任が失われない場合、連続的な調整の可能性が残されています。ある程度のインフレやある程度の円安を社会が許容しながら、最終的に政府債務の対GDP比がインフレによって減少していくというシナリオです。これをインフレ税と呼びます。実際にそのような名前の税金が課される訳ではありませんが、国民がインフレの負担を負うという意味です。

連続的にせよ非連続的にせよ、最終的には国民が何らかの形で政府の負担を負うことに変わりはありません。

しかし、急激な(非連続的な)変化に伴う弊害を考えると、最後に述べた連続的調整の実現を期待しています。

 

「マイルドなインフレ」による「金利生活者の安楽死」

 

そもそも日銀は、何の裏付け資産もなく、日本円を発行できる訳ではありません。発券銀行券や、市中銀行等の日銀当座預金はバランスシート右側の負債として計上されます。そのため、バランスシート左側の資産部門に裏付け資産が必要となります。現代においては主に国債が資産部門に占める主要な項目です。日銀は市中銀行から国債を購入しているので、左側に国債、右側に日銀当座預金となるわけです。

金融緩和からの出口戦略とは、バランスシートを縮小し、金利をインフレを適度に抑制できる水準まで引き上げることを意味します。現在の日銀の政策はイールドカーブコントロール(長短金利抑制)と呼ばれます。短期金利を日銀当座預金のうち政策金利残高に対する付利金利を-0.1%、長期金利を主に10年物国債の買い入れにより0±0.25%(実質的には+0.25%以下)に維持するということです。

量的緩和からの出口戦略には、

1、バランスシートを縮小して長期金利を上昇させる方法(市中での国債売却か、満期保有による償還)と、

2、当座預金に対する付利金利の引き上げ

という2つが存在します。

1の場合。現在市場において日本国債の主要な買い手は日銀しかいません。だからこそ、発行済み国債の50%以上を日銀が保有するという異常な事態となっています。そのため、市中での国債売却は金利の暴騰(国債価格の下落)を意味します。流動性が低すぎるのです。それは、日銀にとっては残りの保有国債の大規模な評価損となるとともに、実際に売却すると損失が確定していきます。政府税収による補填無しには実施できないでしょう。満期保有による償還を目指す場合でも、市場に買い手がいない以上、日銀が購入を停止した時点で長期金利が上昇し、日銀に保有国債時価評価損が生じます。最終的に国債が全て(現実的には全てではないかもしれませんが)償還されるまでの長期間(現在の日銀の国債の平均残存期間は7〜8年と目されています)、日銀は時価債務超過であり続けます。

この原因は何でしょうか。それは、日銀が自身の買い入れにより金利が既に0%に近い水準の国債を大量に購入しているためです。それ以上高くなりようが無い資産を大量に買い入れているのです。同じ量的緩和をしていても、外国の中銀の場合は事情は異なります。例えば米国FRBは、ある程度高い利率の財務省債券を市場から買い入れたため、財務状況にある程度の余裕があります。

2の場合。当座預金に対する付利金利とは、市中銀行等が日銀に持っている当座預金残高に対する利子の支払いのことです。現在は、当座預金のうち政策金利残高に-0.1%のマイナス金利が付与されていますが、出口局面においては、この金利を引き上げることになります。当座預金残高は日銀バランスシートの右側で、日銀が大量に購入している日本国債に対するカウンターパートであるため、数百兆円の残高があります。そのため、金利上昇局面においては、数兆円の利払いが毎年発生することになります。日銀の保有資産である外貨準備約8兆円や金準備約0.4兆円を数年で食い潰すため、政府税収による補填が必要となります。

出口から出なければいいという見解もあると思います。河村氏も「確かに今のような低成長・低インフレ状態、そして円の外国為替相場も安定している状態が永遠に続くのであれば」と述べています。*7しかし現実の2022年の世界では、世界的なインフレと金利上昇圧力があり、円の為替相場は20円も動いています。国民がツケを払う日は近いかもしれません。

 

参考文献等

書籍

『中央銀行の危険な賭け 異次元緩和と日本の行方』(河村小百合、2020、朝陽会)

『中央銀行は持ちこたえられるか -忍び寄る「経済敗戦」の足音』(河村小百合、2016、集英社新書)

『日銀破綻 持つべきはドルと仮想通貨』(藤巻健史、2018、幻冬社)

インターネット

世界経済「インフレ局面」転換で露呈する日銀の“不都合な真実” (DIAMONDonline、2021.12.13、河村小百合)

・河村氏のWeb記事は日本総研のHPから無料で閲覧できます

藤巻健史氏のTwitter。フォローすれば、あなたもハイパーインフレ論客になること間違い無し

日銀“異次元”死守のツケ 海外ファンドとの攻防【7月4日(月)#報道1930】 - YouTube

BS-TBSアーカイブ

*1:持続的に物価が上昇する現象のこと。貨幣の価値は下落する。

*2:政策金利を引き上げること。通常は金融機関同士の翌日に返済する金融に対する利率を中央銀行が決めている。通常としたのは、現在の日銀の政策金利は異なるため。

*3:貸借対照表が本来の意味だが、中銀が持つ資産の規模くらいの含意で言葉が用いられる。

*4:通常、国債金利は年限が長いほど高くなる。そのため時間を横軸に金利を縦軸に取ると、右肩上がりの直線を描く。これをイールドカーブと呼び、カーブを全体的に下へ抑える政策をイールドカーブコントロールYCCと呼ぶ。通常の金融政策では長期金利は操作の対象とはならないが、日銀は2016年から実験的に導入している。

*5:よく日本のMMT(現代貨幣理論)やリフレ派の人々が言うことですが、政府の借金は日銀が全て引き受けるから問題が無いということはありません。本稿で述べているように、そのことに起因する問題が、大きな問題があります。統合政府で考えても同じです。交付国債も議論に値しないと思います。これは中央銀行の信用の問題です。

*6:様々な定義があるが、1つには年率13000%の物価上昇。紙幣は文字通り紙クズになる。第一次大戦後ドイツやジンバブエの例が有名。

*7:中央銀行の危険な賭け p.114』

インフレが必ず来る理由

問:インフレは来ないのではないか?

答:インフレは必ず来ます。その理由を説明します。

まずインフレとは、物価が持続的に上昇する(=通貨価値は減少する)現象のことです。経済成長(好況)と結び付けられることも多いですが、石油危機に端を発する1970〜80年代のようにスタグフレーション(=インフレかつ不況)が10年近く続くこともあります。

世界では既に2020年頃からインフレが始まっています。原因は主に、コロナ禍に伴う現金給付により各国のマネーサプライが瞬間的に増大したこと、工場などの稼働停止や米中摩擦に起因するサプライチェーン再構築に伴う供給力の低下、各国中央銀行量的緩和を開始したこと、などです。それに加え、2022年に入り世界屈指の食糧や資源の生産国であるロシアとウクライナで生じた問題により、食糧を始めとする資源価格が高騰しています。また、5月中旬には世界2位の小麦生産国であるインドが小麦の輸出停止を発表するなど、影響は波及しています。

米国では昨年12月に前年同月比で消費者物価指数(CPI)の7.0%上昇(年率、以下同様)を記録しています。これは1982年6月以来、約40年ぶりの数値です。その後現在に至るまでCPI伸び率は8.0%前後で安定的に(安定は悪ですが)推移しています。

インフレを抑えるために有効な政策は金融政策(金融引き締め)です。これは各国の中央銀行の仕事で、政策金利を上昇させたり、中銀が保有する資産を市中に売却しバランスシートを縮小させることで実現します。イングランド銀行が世界に先駆けて昨年12月に利上げを開始、米国のFRBも今年3月から利上げを開始しています。例えばFRBの利上げは、約1ヶ月ごとに行われる政策金利決定会合(FOMC)で決定されます。1回当たりの利上げ幅は0.25%がセオリーですが、5月のFOMCでは一度に0.5%上昇させることが決定されました。これは22年ぶりのことで、インフレが米国社会と経済に深刻な影響を及ぼしていることを反映しています。また、6月からバランスシートの縮小を開始することも発表されています。しかし、現在の政策金利は0.75〜1.0%であり、年率7〜8%のインフレを止めるには全く十分ではありません。過去にFRBは1981年頃、深刻だったインフレを抑えるために政策金利を20%近くまで引き上げたことがあります(参照:ボルカー・ショック)。そのため、少なくとも今後1〜2年程度は世界的なインフレが進行・持続するとの見方が一般的です。

日本の現状はどうでしょうか。

まず日本は、石油などの資源・食料を大きく輸入に頼っています。そのため、海外のインフレが近く日本に波及することはほぼ確定的です。実際、4月の輸入物価指数は前年同月比+44.6%、円ベースで2021年3月から14ヶ月連続で前年比プラスとなっています。

4月のコアCPI(生鮮食品を除いた!物価指数)上昇率は前年同月比で2.1%でした。消費増税の影響を除くと約13年ぶりの上昇率です。また、8ヶ月連続で上昇しています。このため、既に日本でもインフレが始まっていると考えられます。

インフレになれば、日本の中央銀行である日本銀行が金融引き締めを行って、インフレを抑えれば良いのではと考えるかもしれませんが、事情はもう少し複雑です。

日本銀行は2013年から黒田総裁の下で異次元の金融緩和を実施しています。通常の金融政策では、数ヶ月で償還される政府短期証券などを買い入れるのですが、量が多く存在しないので、日銀は10年以上の長期国債を年間80兆円ずつ購入し始めました。2020年には国債購入額上限を撤廃し、2021年は13年ぶりに日銀保有国債残高が減少に転じましたが、今年2月からは長期金利が0.25%より少しでも上昇すると日銀が国債を無制限に買い入れて金利を下げる指値オペを実施しています。このように日銀は現在、インフレを抑える金融引き締めではなく、金融緩和を行っている状態です。

金融緩和の終了は、市場への影響を最小限にするため長い時間をかけて行われます。米国ではFRBがテーパリング(金融緩和を減速させていくこと、2021年11月開始)の年内開始をほのめかす「予告」を2021年春頃から行っていたくらいです。そのため、日銀においても、テーパリングの予告すらされていない現状から、予告→テーパリング開始→金融緩和終了→金融引き締め開始までは、かなり距離があり、日本国内でインフレが進行しても金融政策による対策は当分先にならざるを得ないと推測されます。

加えて、日銀は金融引き締めを打てないという見方もあります。上述のように日銀は低金利で長期国債GDPと同額程度(2021年末で521兆円)まで買い入れているため、利率が上昇すると評価損を計上し、10兆円程度の日銀持ち資産を食い潰すため満期を待たずに国債を市中に売却することができません。また、金融引き締めの方法には日銀当座預金(今年4月現在で約562兆円)に対する付利利率(市中銀行が日銀から受け取る利子、現在0.1%)を引き上げる方法もありますが、これを数%に引き上げるだけで同様に日銀は債務超過に陥るため、これも実際には行うことができないのではないかと考えられます。

そのような場合、日本政府が日銀に財政支援することも考えられなくはないですが、現在日本政府は支出の多くを新規国債発行に依存しており、その国債は事実上日銀が引き受けているため、金利が数%に上昇し当の日本政府が国債の利払いに追われている状況で、日銀を助け得るとは思えません。

なお、日銀保有国債の平均残存期間は8年程度と目されており、そのような長い期間、日銀が債務超過で耐え得るかは不明です。

金融引き締めを行わないとインフレが進行しますが、現在日本政府・日銀は事実上金融引き締めを行う手段を持っていないのではないかと考えられます。すなわち、インフレが進行します。

金融緩和を行い続けなければならないとすると、日本円に対する信頼が低下し、円安が進む可能性もあります。国際決済銀行(BIS)が今年2月に公表したところによると、通貨の実力を示す実質実効為替レートにおいて日本円は50年ぶりの低水準を示しており、かつてのようにリスクオフの円高にはならない可能性が指摘されています。日本は、石油などの資源・食料を大きく輸入に頼っているため、円安はインフレに直結します。

新自由主義批判に対する違和感

新自由主義とは、「小さな政府」を極めて推進する立場である。通常の自由主義との違いは、この「極めて」という部分だと思う。(新)自由主義とは、政府による経済への介入を否定し、個人の責任で自由な競争を資本主義社会で行うことが、最も社会の発展に寄与するという立場である。

日本における新自由主義といえば、80年代の中曽根に始まり、90年代の一連の改革、そして2000年代初頭の小泉・竹中的な政策を指すことが多いように思う。

ところで、現在の日本は新自由主義的なのだろうか。「小さな政府」なのだろうか。

私には、そうは思えない。まだブラウザバックしないで欲しい。私は君と連帯できる部分があると信じる。

確かに、特にアカデミックに近い場所にいると、大学への運営費交付金がどんどん減らされていたり、政府は新自由主義に基づいて、これを実行しているように感じられる。アカデミックではない、社会の他の領域にいても、同様に感じられるのではないかと思う。

しかし、政府支出は年々増加している。つまり「小さな政府」どころか「大きな政府」に政府は向かっていることになる。特に安倍政権以降は、日銀が政府支出をファイナンスしている。その是非はともかく。

新自由主義を批判される向きにとっては、結構なことかもしれない。だが、そういう話ではない。

第一に、増えている政府支出の内訳は、社会保障である。年金・医療である。

高齢者ではない人々は、毎月年金保険料を払って、これを支えている。つまり、政府全体としては「大きな政府」に向かっているにも関わらず、増えている領域は「年金・医療」であるため、その恩恵に与らない人々にとっては、相対的に政府支出が減って、政府が新自由主義をやっているように感じられるという構造になっている。

第二に、新自由主義批判はこのような構造に即していない。政府が行っていることは全体として「大きな政府」である。それにも関わらず、新自由主義(小さな政府)批判(=大きな政府)をやっても、現状の体制に対する有効な批判にはなり得ない。働く世代、若者の負担を減らすためにはむしろ、社会保障に対する支出を減らさなければならない。現在の政府支出の大半は社会保障であるため、それは即ち「小さな政府」を主張することに繋がる。

それでも、新自由主義を礼賛することには違和感があるかもしれない。私も違和感がある。

何もそんなに強烈に一方の主張の極に近付いていく必要はないのではないか。極端は破綻する。

そこで私は、新自由主義ではなく単なる自由主義(=小さな政府)の立場に立つことを提案する。その上で、政府の社会保障支出を減らす立場(=小さな政府)にも立つ。

こうすることで、「新自由主義批判(=大きな政府)かつ、社会保障支出削減(=小さな政府)」という矛盾した立場に立つことを回避することができる。

 

私は、現在の日本政府が行っている政策は「大きな政府」だと思う。平時における社会保障支出の増大もさることながら、コロナ禍における現金給付や、補助金の乱発が、その傾向を一層に加速させていると思う。

なお、「大きな政府」を推し進めた先にあるのは「社会主義」である。旧ソ連の実験は失敗した。同じ失敗を、もう一度繰り返す必要はどこにもない。

言葉は長崎から来たらしい

「一般に言語的差異が大きい地域は言語発祥の地とみなされ、日本語の成立において九州、とくに西九州の重要性が注目されている(小泉一九九八、Hudson 2002)。」

崎谷満『DNAでたどる日本人10万年の旅』の一節である。

よく大阪人は、東京に行っても大阪弁を喋り続けると言われる。私の周りの長崎人は、京都に来ても、よく方言を残しているように感じる。

西の方が、言語が強い[どのような意味で?]のかな〜


先に挙げた書は、第四章「日本列島における多様な民族・文化の共存」>「九州・四国・本州における多様な文化の共存」>「西九州(長崎)の重要性」と題する節で、

「西九州語の長崎語は、日本語諸語の中にあってもっとも古い言語体系を温存している。下二段活用、敬語法-rasu、形容詞語尾-saなど、他の日本語諸語ですでに喪失してしまった古い日本語の言語学的特徴、それも最古の万葉時代の上代奈良語にもみられた古い特徴を今に伝えているのが長崎語である(Sakitani 2000、崎谷二〇〇四)。」

と長崎を高く評価している。ここで長崎が話題となるのは、

「日本列島における新石器時代の中心的文化である縄文文化の担い手であるD2系統ヒト集団(Hammer and Horai 1995, Shinka et al. 1999, Tajima et al. 2004, Hammer et al. 2006)は、華北付近から朝鮮半島を経て」

「北東方向へ向かい、朝鮮半島を経て西九州へ到達したことが推定される。」

からである。

「したがって、西九州は、ある意味では日本列島における縄文文化の創始に関わる地域であった可能性がある。」


クレジットカードのような時間

クレジットカードは、未来の自分がお金を払うことで資本主義を加速する仕組みです。例えば3月20日までの1ヶ月間に使った金額が、3月28日に指定した銀行口座から引き落とされます。それまでの間は、お金を支払う必要がありません。クレジットカードはとても便利です。1万円札を持ち歩かなくてもいいし、多くの場合に対応するポイントで数%の還元を受けられるため、現金で支払うよりも得であるとされています。買い物をしたその場で銀行口座からお金が引き落とされるデビットカードや、予め入金が必要な電子マネーと違って、クレジットカードは「今この場所で」お金を支払うという行為を延期することができます。それが、クレジットカードが資本主義を加速すると言っている理由です。人生で大事なものは、お金と時間です。お金をこのようにクレジットカードで使うことに慣れてしまうと、時間もまたクレジットカードのように使うことに慣れてしまいます。未来の自分がお金を払うように、未来の自分が時間を使います。「今ここ」を生きることが出来なくなってしまいます。例えばクレジットカードの返済に追われているために働かなければならない人は、決して今この瞬間を生きているとは言えないでしょう。それは過去の自分のため、あるいは未来の自分のために、今を生きていることになっています。それと同様のことが、時間についても言えるのではないかと思い始めています。クレジットカードのように時間を使うとは、今ここではなく未来の自分が時間を使うことを、過去のある段階で自分が決定することです。そのように立てられた予定の中を生きる間、今を生きているとは言えないと感じます。今ここにしかないものを大事にしよう。クレジットカードを使うのをやめ、時間を今に取り戻そう。クレジットカードが資本主義を加速するように、クレジットカードのように時間を使うこともまた、資本主義を加速するのでしょうか?

パラレルかな

期待を込めて。

コロナ禍の現金給付によって人々の金銭感覚が変化し実際にモノを買い始めるようになると、リフレ政策的な金融緩和によって過去数十年の間に実物資産の量よりも何倍か金融資産の方が多くなっていたばかりに、お金があると思っていたら実はモノが無かったという式に、みんなが気付き、インフレが進み始めました。

この気付いて、みんなが買うと価格が高騰するという図式を、ビットコインにトレースすると、になって欲しい