今後、旅の日記を書くために用意したブログ

今後、旅の日記を書くために用意したブログです。今のところ旅に出る予定は無いので、旅の日記以外のことばかり書いています。

言葉は長崎から来たらしい

「一般に言語的差異が大きい地域は言語発祥の地とみなされ、日本語の成立において九州、とくに西九州の重要性が注目されている(小泉一九九八、Hudson 2002)。」

崎谷満『DNAでたどる日本人10万年の旅』の一節である。

よく大阪人は、東京に行っても大阪弁を喋り続けると言われる。私の周りの長崎人は、京都に来ても、よく方言を残しているように感じる。

西の方が、言語が強い[どのような意味で?]のかな〜


先に挙げた書は、第四章「日本列島における多様な民族・文化の共存」>「九州・四国・本州における多様な文化の共存」>「西九州(長崎)の重要性」と題する節で、

「西九州語の長崎語は、日本語諸語の中にあってもっとも古い言語体系を温存している。下二段活用、敬語法-rasu、形容詞語尾-saなど、他の日本語諸語ですでに喪失してしまった古い日本語の言語学的特徴、それも最古の万葉時代の上代奈良語にもみられた古い特徴を今に伝えているのが長崎語である(Sakitani 2000、崎谷二〇〇四)。」

と長崎を高く評価している。ここで長崎が話題となるのは、

「日本列島における新石器時代の中心的文化である縄文文化の担い手であるD2系統ヒト集団(Hammer and Horai 1995, Shinka et al. 1999, Tajima et al. 2004, Hammer et al. 2006)は、華北付近から朝鮮半島を経て」

「北東方向へ向かい、朝鮮半島を経て西九州へ到達したことが推定される。」

からである。

「したがって、西九州は、ある意味では日本列島における縄文文化の創始に関わる地域であった可能性がある。」