今後、旅の日記を書くために用意したブログ

今後、旅の日記を書くために用意したブログです。今のところ旅に出る予定は無いので、旅の日記以外のことばかり書いています。

資本主義の終焉・分断と対話・個人

最近、資本主義の終焉ということの意味が分かってきた。
身近な共産主義者たちが、金融資本家は追い詰められていて、この社会をプロレタリアートの連帯によって実力で変えられるんだ、という話をよくしている。

世界最大のヘッジファンド、量的緩和と現金給付に続く新たな金融緩和を語る | グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート
私は、このグローバルマクロ・リサーチというブログから、経済変動についての考え方の示唆を受けた部分が大きい。グローバルマクロ・リサーチを書いている人は、よくハイエクを引用する。オーストリア学派的な経済の見方をしていると思う。
グローバルマクロ・リサーチは、よく以下の図を引用する。

金利は40年間、右肩下がりであるという図

この図は、米国FRB政策金利が、石油ショック以降、約40年にわたって右肩下がりであるという図である。
ところで、銀行というのは資本主義の中心にある仕組みであり、マレー・ロスバード的な考え方かどうかは少し自信が無いが私がそう思っている考え方では、米国FRBを牛耳る国際金融資本家は、資本主義の中心に位置して、ペンを動かすだけで(貨幣発行権を有するだけで)座っていても富が集積してくる。ロスチャイルドとかが言ってそうなことである。ロスバードの考えでは、中央銀行と政府を一体的に牛耳る権力の近くにいればいるほど、そのおこぼれで確実に儲かるのであって、それはフェアな競争では全く無いから、リバタリアン的な見地から批判を加えているのだと思う。
実際、東京オリンピックとかを見ていても、政治家に近い企業が儲かっているのは自明だし、例えば開発をする時に、政治家の身内がたまたま土地を持っていたりしているらしいことを見ても、この議論には説得力があると思う。
こういう国際金融資本家を悪として強調する見方は、ユダヤ陰謀論とかなり親和性が高いし、革命的左翼党派の共産主義思想も、何となく見ていて陰謀論と親和性が高そうな気がする。当事者たちは、実力で社会を変えられると思うのが我々で、悲観的なのが陰謀論だ、とよく言うけれど。

そういう訳で、40年間にわたって金利が右肩下がりなのは、資本主義が段々儲けられなくなってきていることの証左だな、と最近思った訳である。
資本主義の終焉と歴史の危機 – 集英社新書
少し調べてみると、全く同じ話を考えている人は当然いて、水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』という本を見つけた。この水野という人は、私の記憶違いでなければ、金融系のTwitterでたまに批判されていると思う。いわゆる「トンデモ系」であるという評価が多い。まあ、主張内容は異端であるから、正統とは相容れないのだろう。私は読んでいないから、よく分からないけど。
日銀破綻論を唱える藤巻健史や、河村小百合も、たぶん似たような界隈からはトンデモだと評価されている。私はあまりそうは思わないので、この辺りの評価の具合は、評価する人の、立場や主義に依存する部分が大きいように思う。

続いて、グレート・リセットの話を。
革命的左翼党派の共産主義者たちがよく言っている見方では、資本家階級は、何回か資本主義を延命してきたという。つまり、今までも、これ以上儲けられないとなって、限界に当たってきたが、そのたびに例えば戦争を引き起こしたりして、一度全てを更地に戻せば、もう一度「成長」することができる。「成長」すれば、再び儲けることができるので、資本家階級にとっては、万々歳ということになる。
最近、陰謀論や都市伝説の界隈では、「2025年にグレート・リセットが来る」ということが、しきりに強調されている。
コヤッキースタジオ - YouTube
都市伝説に全く素養の無い人は、「巷に転がる都市伝説紹介チャンネル」のコヤッキー・スタジオとかを見て欲しい。
私の感覚では、この「グレート・リセット」とは、多分戦争とかなのだろうと思う。逆に、戦争じゃなかったら、驚くくらいである。
都市伝説や陰謀論は、こうした政治や経済の難しい話を理解できない層に、エンタメとして世の中の動きを消化させ、理解させるというような働きをしているのかなと思う。


世間では、トランプ大統領が出てきた頃から、「分断」というキーワードが強調されるようになった。
曰く、社会が分断されている。相互に理解や意思疎通が出来なくなっている。極右や極左が力を持ってきている。
これは、社会をマクロで見た時に、社会に「分断」が生まれているということだと思う。

ミクロとマクロの議論が直線的に繋がるとあまり思うべきではないと思うが、自治空間における日常的な政治の風景にも、やはり分断というものがある。ミクロな、個人レベルにおける、分断。相互理解の不在。敵対。政治的対立。対話の不成立。
そして、このミクロなレベルでも、この分断を解消するのは極めて骨の折れる仕事であると、私は最近認識するに至った。
私は、世間の並の人間と比べると、かなり政治的に「意識の高い」(リベラルという意味ではない)人間だと思うが、それでいても、私が自治空間の政治的秩序の維持に割くコスト・パワーの大きさを思うと、少し尻込み・躊躇をしてしまう。
ミクロなレベルでさえもこうであるのだから、マクロなレベルの分断を解消するなんて、ほとんど不可能に思えてしまう。対話の方法や、技術で何とかなる問題でもないと思う。誰かどうしたらいいか知っていたら教えて欲しいし、誰もやり方が分からない(知識人でも分からない)からこそ、いま世界中で問題になっているのだと思う。

こうした、ミクロな身近な生活のレベルの政治において無力感を感じた人間の向かう先は、ただ個人の発展であって、私もいまそうした傾向を持っている。しかし、周りを見渡すと必ずしも、そういう人間ばかりではないと見える。私はかなり珍しい部類のようだ。

3パターンに分けてみよう。
1、社会や(身近でさえも)政治に対して向かうのではなく、個人を発展させよう
2、社会や政治を個人の力で変えよう
3、何もしない(あるいは、どうせ「グレート・リセット」で全てが無意味になるので、何をしても意味ない)

1が今の私。2が、ある革命的左翼党派の共産主義者たち。3が、そのほか大勢。

今の私は、自分個人の実力を高めることに(何らかの)意味があると、素朴に信じられているのだと思う。しかし、戦争(グレート・リセット)という個人ではどうしようもない(3の立場)ことが、降りかかってくる中で、個人の実力みたいなものにどれほどの意味があるのか、と考えてしまうことが無いとは言い切れない。1の立場は、そうした不安定さがあると思うし、だからこそ「珍しい」のだなと思う。