今後、旅の日記を書くために用意したブログ

今後、旅の日記を書くために用意したブログです。今のところ旅に出る予定は無いので、旅の日記以外のことばかり書いています。

人間が宇宙へ行くというモチベーションは持続するか

小学校の頃は、クラスで宇宙と言えば私、で通っていたし、実際、天文ではなく宇宙開発の方に興味のある子どもだった。そうした小学校高学年時分に抱いた素朴な思いは、中学・高校で定期テストと受験のための勉強に焦点があっていく中で、知らずのうちにどこかへ追いやられた。大学へ入ってからも、大学一年時のほんの一瞬だけ、宇宙太陽光発電に興味を持った時があったが、結局進む進路も宇宙系は選ばなかった。その中でも、底流として、宇宙というキーワードは私の中に存在して、たまたま目の前に現れた機会に出会い、いま少し宇宙開発に関わらせてもらっている。それ自体は非常に幸運なことではあるが、私の「本来の」専門分野は、宇宙とは別のことであって、この先の人生において、宇宙方向に進んでいくかということは、まだ分からない。
ある人間の専門分野、職業の選択ということに関しては、当然その職業が今後存在するかとか、その分野がこれからも盛り上がっていくか、ということを十分に考慮に入れて、色々と決断していくものと思う。従って、本分は本業に置きながらも、応用として宇宙に関わるというやり方も、あるかもしれないとは思う。いずれにせよ、そういうことを考えるにあたって、宇宙産業はこれからも伸びていくのか、という人によってはほぼ答えが自明であるように感じられるかもしれない問題を、自分ごととして考えなければならない。
最近は、特にアメリカで民間企業の宇宙進出が極めて活発になっているし、宇宙を利用した産業ということもかなり話題となっている。宇宙といっても色々あって、地球にごく近い部分から、月や火星、さらにもっと深宇宙まである。近年言われている宇宙利用産業の多くは、ごく地球近傍領域の話だと思う。一方、イーロン・マスクなどは火星に人を送り込むというような話をしているし、現在出ている産業的な宇宙の話の一番遠いところは、火星くらいかなと思う。
では、その火星に行くとして、一体何が嬉しいのか、ということを明らかにしたい。資本主義の論理で言うと、投資した資金は多少増えて回収されなければ、投資する主体がいなくなってしまうから、火星に行くことによって、それに関連して派生する技術でも何でも良いので、何か金になるリターンが無いと、火星への投資というモチベーションは次第に失われて、持続しないものになるだろう。
宇宙とはフロンティアであるから、過去同様のフロンティアに人間が出て行った例を考えたい。例えば大航海時代以降続く時代では、ヨーロッパ各国は、アジアやアフリカにある天然資源や人的資源(奴隷)を目的として、フロンティアに出て行って、それは莫大なリターンを産んだので、資本主義として投資のサイクルが継続した。あるいは、アメリカなどは元々いた先住民を虐殺してヨーロッパ人が住み着いた訳だけれども、そうして人が一旦住み始めると、それ自体が需要となって、発展していくということもあるかもしれない。宇宙に住むのは、色々な意味で17世紀のアメリカに住み始めるより、かなりの困難が伴うと思うが、技術で解決できる話なら、宇宙の方が住み心地が良いと感じる人が現れれば、そうして発展していくことはありそうだ。
冷戦期のアメリカとソ連は、両方ともかなり熱心に宇宙開発をやり、アメリカは月にまで行った訳だが、これは大陸間弾道ミサイル核兵器を撃ち合える技術をお互いに確立した後は、それほど熱心に宇宙開発は行われなくなった。宇宙開発自体が目的ではなかったので、投資は続かなかったし、その競争に耐えきれなくなってソ連は崩壊してしまった。
よく宇宙にはロマンがあるとか、夢があるとか、言われる。それは宇宙にロマンや夢がある人たちがそう言っている訳なので、その人たちにとって宇宙に夢やロマンがあるのは当然である。しかし、夢やロマンだけでは、とここまで書いたところで、モチベーションと現実的な条件を考えるということについて、少し混乱してきた。
京大の宇宙ユニットは、宇宙進出の現実的可能性について考える研究者の集団で、本を何冊か出している。
『有人宇宙学: 宇宙移住のための3つのコアコンセプト』(山敷 庸亮)の感想 - ブクログ
『人類はなぜ宇宙へ行くのか (シリーズ〈宇宙総合学〉 3)』(土山明)の感想(4レビュー) - ブクログ

KULINEで目次を見てみると、結構多くは、どうすれば現実的に宇宙に継続的に住めるのか、というその方法について議論しているように見える(まだ読んでいないので分からないが)。今は、イーロン・マスクなどの動きもあるし、衛星などの地球近傍宇宙での活動はすぐ商売に結びつくだろうので、人間がなぜ宇宙に行くのか、そのモチベーションが果たして持続し得るものなのか、ということをあまり考えないでも、それは所与のものとして、ちゃんと宇宙で過ごせるための条件だけ考えれば良いということになっているのかもしれない。実際、宇宙で過ごせるための技術的条件無くしては、ロマンだけあっても住めないので、そのこと自体は極めて重要である。
投資も、一面的には持っているロマンを実現するために資金を投じるという性格は否定できないが、全体として見たときに、投資のリターンが小さい状況では、資本を投下する主体はだんだん少なくなっていって、持続できないものになるかもしれない。

最も安価な回答は、夢やロマンかもしれない。こうした「哲学的な」問いを、自分の進む道に照らし合わせていけるのは、結構面白い。私の2020年代はこういう感じなのかもしれない。後期は宇宙の授業をいくつか取る予定なので、こうしたことについて考えたいと思う。