今後、旅の日記を書くために用意したブログ

今後、旅の日記を書くために用意したブログです。今のところ旅に出る予定は無いので、旅の日記以外のことばかり書いています。

ピザ食べたいね

1100 words you need to knowを始めました。1日1ページ、現在2日目。46 weekとか書いてあるので、普通にやると1年かかる。toeicのリーディングの点数を上げたい。toeicに直接的に効果あるのかは知らない。普通に生きてて実力を上げるのが、基本的な考え方なので。

思想ということでは、最近こういうことを思っています。歴史上の偉大な思想家は、その時代状況の要請に応えたという点で偉大である。一方で、偉大な思想家ではない我々は、それでは尊くないのか。個々人の直面する状況に答えを与えようとする個々人の思想もまた、偉大な思想家と同じくらい尊い。というよりむしろ、思想家の思索も、私たち1人1人の思索も、同じ価値を持つような、そういう軸を考えることができる。その軸において、偉大な思想家も、私たちも、等しい。そしてその軸は、決して無意味ではない、そう思いたい。こういうことを思っています。

個々人が、というより僕が、思想を深めることができるのは、今までの経験から言って、人間関係に苦しんでいる時に、その苦しみの原因から色々なことを考えているときであって、それ以外の時は大したことを考えていない。上の軸の話に登場させたい僕の考えは、そういう時の考えだけであって、それ以外の時は思想と言えるものを考えていないので、偉大な思想家と比したりはしたくない。

程度の差の問題。これについては、かつて書いたことがある。程度の差でしかない、その性質的に連続的に変化や分布するものである、スペクトルのような2つのものがあるとき、ある場所に線を引いて、そっちは何々、こっちは何々という風にラベルを貼ることができる。では、この2つのものがその軸において、非常に接近してきた時、もはやその間に線を引いて、あっちとこっちという風に区別できなくなる、そういうことが必ず起こる。それでは、当初において、2つのものをラベリングできていたのは一体何だったのか。そういう程度の差でしかないものについて、あれやこれや言うことは果たして適切なのか。このことが頭の処理の後ろの方でずっと動いています。