今後、旅の日記を書くために用意したブログ

今後、旅の日記を書くために用意したブログです。今のところ旅に出る予定は無いので、旅の日記以外のことばかり書いています。

2つの研究室に属して

はじめに

2つの研究室に所属していると言うと、大体驚かれる。大学院生で、同時に2つの研究室に所属している人は、かなり珍しいからだ。なので、同時に2つの研究室に所属して、いま私の生活がどんな感じになっているのかを、書いてみようと思った。想定読者は、とりあえず私と普段たまに会う人、Twitter(X)のフォロワーくらいのイメージで、個人情報をいい感じにボカして書こうと思う。ちなみに、私のことを全く知らない人に簡単に自己紹介すると、私は京大の理系大学院生(修士課程1回生)である。

2つの研究室に所属するようになった経緯

1つ目の研究室に所属するようになった経緯について(それほど詳述しない)。まず、4回生の時とは異なる研究室への配属となった。ウチの専攻は、全研究室を一纏めにした大学院入試をやって、ペーパーテストの成績が高い順番に希望の研究室に配属されるという、多分少し珍しい仕組みを採用している。その結果、4回生の時にいた研究室へそのまま修士課程で残ることが出来ず、第2希望の研究室に配属された。それが今の1つ目の研究室である。

2つ目の研究室に所属するようになった経緯について。その前に、2つ目の研究室が、少し特殊であることについて話しておく必要があると思う。2つ目の研究室は、研究室と呼ぶしかないものには違いないが、恐らく一般的な研究室とはかなり様相が異なる。まず、そこに集う学生は、学年的には1回生から修士課程の学生まで多様であり、学部生がその中心を担っている。次に、特定の学部・学科・専攻等に所属している訳ではない。理・工・農の学生が多い。一般的な研究室と同じようなこととしては、教授がいること、大学の資金によって運営されていること、学生の居室や実験設備のある実験室をもっていること、などなど。

2つ目の研究室は、研究室全体として進めているプロジェクトの達成をその目標としている。全体がいくつかのチームに分かれており、そのチーム毎に部分化されたテーマに関連する問題解決を目指すという構成になっている。

ここからが経緯である。私はたまたま春頃に、2つ目の研究室がメンバーを募集しているのを見つけた。2つ目の研究室は、大きなテーマとしては、1つ目の研究室のテーマとは全然違うテーマであるが、分かれているチーム毎のテーマの中には、1つ目の研究室のテーマと分野的に近いものがあった。大きなテーマとしても非常に野心的で面白そうなものだったので、メンバー募集に応募した。書類提出や面接を経て、採用された。各段階で、志望動機を書いたり話したりする機会があり、そこでは、1つ目の研究室のテーマと分野的に近いテーマを扱うことになるので、同時並行で取り組むことで相乗効果で実力を高めていきたい、というような話をした。

どのような生活をしているか

1つ目の研究室は、いわゆる実験系の研究室である。そのため、午前中に大学に行って講義を受け(大学院生にもなって講義があるのは、院生からは大変不人気である)、午後からは実験、得られたデータの解析、報告資料の作成などを行なっている。ゼミや雑誌会も週に一度程度ある。普通の研究室である。帰りは日によるが、夕方から夜にかけて、である。コアタイムは一応あるが、あまり厳密に守られている雰囲気はない。実験系で、かつ独立したテーマが一人一人に与えられるタイプの研究室なので、基本的には研究室に来なければ研究が進まない。従って、大体毎日午前中に来て夕方から夜にかけて帰っている人が多い。土日は行かない。

そうすると、2つ目の研究室にはいつ行くのか、という話になる。
2つ目の研究室のメインは学部生であるが、学部生は講義期間はかなりの数の講義がある。最大週15コマ程度あるため、2つ目の研究室の主な活動時間帯は、5限後ということになる。2つ目の研究室のメインの構成単位は5人程度のチームであり、チーム毎に実験や開発、解析等を行なっている。そのため、私も所属するチームで決まった日に研究室に行き、実験や開発を行う。それは、平日の放課後または土日の午前中などが多い。得られたデータの解析や、報告会の資料作成は、平日の日中に1つ目の研究室の実験の合間を縫って行うか、土日に行うことが多い。報告会は大体週に一度程度あり、各チームが毎週、今週はこんな活動をしました、ということを報告する。

また、1つ目の研究室の時間拘束がそれほど強くないことを利用して、途中数時間離席して、2つ目の研究室で実験等を行い、また1つ目の研究室に帰ってくるということも、まま行なっている。2つの研究室間の物理的距離がそれほど遠くないが故になせる技である。ちなみに、2つ目の研究室ではRA・TA・OA的なものとして雇ってもらっていて、週に3,4日程度、それほど時間のかからない作業を朝晩に行なっている。

そんなこんなで家に帰ってくるのは、夜から深夜(日付は越えない)であり、結構ハードである。

以前と比べた生活・研究上の変化

2つの研究室に行くと、普通に1つの研究室に行く以上に自分に対して時間的・体力的負荷がかかるので、そのことに起因する変化がいくつかある。まずは、時間への意識と、単独の研究室できちんと成果を出さなければならないという意識である。

1つ目の研究室だけでもそう感じるのかもしれないが、2つの研究室に行くので、基本的には時間が足りないと感じることが多い。そのため、1つ目の研究室における研究の進め方を、時間の無駄なく複数の作業を行うように予定を設計するようになった。しかし、そうしたとしても、先に装置が使われていたり、実験が上手くいかないなど、予定に反する事象はたくさん起きるので、実際にどれだけ効率的かは分からない。

さらに、2つの研究室に行くという、普通の人ならあまりしないことを進んでわざわざやっているので、そのことを理由に、他方の研究室を疎かにできないという意識を持つようになった。2つ目の研究室を理由に1つ目の研究室を疎かにするのは、本業を疎かにしているので最も駄目だし、逆に1つ目の研究室を理由に2つ目の研究室を疎かにすることもまた、自分で志願してそうしているわけなので、実際どうであれ、疎かにしないという態度を持つことが重要だと思っている。

また、大きな変化として、住んでいる学生寮自治会活動(会議、イベント等)に参加する時間・体力を割くことが以前より難しくなってきたことが挙げられる。自治会活動では、イベント開催の段取りや会議の調整、日常の事務作業からハレの日の政治まで、1人で暮らしていたのでは中々難しいことが色々と体験でき、そこで得られる経験は人間の実力を飛躍的に高めることがある。私も、1年間自治会活動に関わって、そこで体得したものが無ければ、いま2つの研究室に行っても上手くいかなかっただろうと思っている。従って、自治会活動へのアクセスは多忙を極める中でも出来るだけ残しておきたいと考えている。

これから

ここまで読んでお前は就職活動はいつしているんだと思ったあなたは極めて正常な感覚の持ち主である。私は今の1つ目の研究室で博士後期課程に進学することを考えており、修士課程修了後を見据えた企業等への就職活動をほぼ何もしていない。そのため、基本的にはあと最低4年半以上は同じ場所に在籍することになる。2つ目の研究室も、特に大きな変化が起こらず、両立可能なものである限りは、続けていきたいと考えている。

今はまだ修士課程1回生の夏で、どちらの研究室でも入りたての新人でペーペーだが、そのうち後輩や新メンバーが入ってきて、私も教育的な立場に立たなければならなくなることは自明である。その時のために、両方の場所である程度の経験を積んでおきたいと思う。

私は多分、新しい環境に適応することは比較的得意で、かつ同じ経験ばかり繰り返していても仕方ないと考えている人間のような気がする。2つの研究室に同時に在籍するというチャレンジングな経験は、私の人間的性格に恐らくは端を発している。あと5年近く、同じ場所に在籍し続けるつもりなので、同じ景色ばかり見ていてツマラナイということの無いように、生きていきたいと思う。

感謝

ここまで書いて、この項目を書いておかない訳にはいかないと思って、用意した。

この記事を私の指導教員とかが見ることは無いが、私がこうして2つの研究室に所属して自由に経験を積み、実力を高めさせてもらっているのは、双方の研究室の教員をはじめとした研究室のメンバーの方々の理解あってのことである(1つ目の研究室の学生も皆、私が2つ目の研究室に行っていることを知っている)。1つ目の研究室で直接私を指導して下さっている先生などは、大変意欲的で素晴らしいと評価までしてくれている。さらに私の学資を出しているスポンサーへの感謝はしてもし過ぎることはない。

加えて、書いておかないと必ずしも自明なことではないこととして、私の生活を支える熊野寮の素晴らしさについて語っておきたい。4人部屋と多少汚い風呂場を我慢すれば月4300円で居住でき、授業のある期間は栄養満点で朝昼晩3食を約800円で食べられる寮食を提供している食堂があり、先述のように色々な経験を積んで実力を高めることもでき、さらに大量の友人までできる熊野寮は、まさに私の多忙な生活を最大限支える福利厚生施設として、極めて重要な役割を果たしている。こうした大学の学生自治寮は、一部左翼の拠点とされることもあって、国や大学からあまり快く思われておらず、全国的には廃止・閉鎖が進んでいるが、実際に居住してみると、そうした一筋縄ではいかない左翼と論戦を交えることで、高まる実力もあるのである。熊野寮は、私の研究の地盤として無くてはならないものであり、これくらいのことはここに書いておかなければならない。

以上で本記事を終わるが、これを読んだ人に何か影響が与えられれば、幸いである。