今後、旅の日記を書くために用意したブログ

今後、旅の日記を書くために用意したブログです。今のところ旅に出る予定は無いので、旅の日記以外のことばかり書いています。

Youdentity 他者の同一性

僕は人の名前や顔を覚えるのが結構苦手なのではないかと思っています。詳しく調べた訳ではありませんが、僕の他の能力や、他の人のこの能力と比較して、体験的にそう感じています。人の名前や顔を覚えるのが苦手、と言うとき、それは以下の3つのことが考えられるのではないかと思います。

1、人の名前を覚えるのが苦手

2、人の顔を覚えるのが苦手

3、名前と顔の組み合わせを覚えるのが苦手

このうち、どの能力が最も不足しているのかは分かりませんが、どれも同じくらいにできないか、感覚的には2が最も苦手で、3はそれほど苦手ではない気がします。1と2の能力が足りていて、3だけが顕著に不足している場合、しばしば自信を持って名前を話しかけた時に、人違いが起きそうですが、あまりそういう事態にはなっていません。2の能力は最も苦手で、その日会った人の顔を、夜思い浮かべるということが難しいです。このことの原因としては、まず第一には昼間にその人の顔をきちんと見て会話していないということがありそうです。しかし、昼間きちんとその人と向き合って会話をした人であっても、思い出そうとすると中々できずに、その人ではない、よく顔が似ている別の人の顔の印象が混ざってきたりして、正確に思い出すことができません。昔からよく知っている友人や知り合いの顔は、そうでない人に比べるとよく思い出すことができますが、しばらく会っていなくて久しぶりに会うと、顔の印象が変わっていたりして、別人とは思わないにしても、少し驚いてしまうことがあります。その驚きは、驚いているので、あまり表現できません。数回しか会ったことがない人の顔よりは、安倍晋三小池百合子や吉村洋文の顔の方がよく思い出すことができます。

名前を覚えるというのは、顔を覚えるのとはまた別の難しさがあります。顔は(化粧をしていても)基本的には公開されているものですが、名前はわざわざ聞き出したり、それが書かれているものを見たりしないと分からないからです。その上でまた、名前を覚えるかどうかという別の問題があります。僕はしかし、この名前が分からない状態で進行する人間関係に一種の風情を感じる傾向が少しあって、過去に書いた文章を読むとそういうことが書いてあったりします。その人と、既に最低一度は会ったことがあるということが分かっていても、名前をすぐに思い出せない場合があります。逆に、一度は見たり聞いたりしているはずの名前を見ても、その人の顔を思い出せないことがあります。これは3の能力に関連しそうです。先ほど僕は、3はそれほど苦手ではないと書きましたが、撤回します。3の能力には、以下の2つが考えられそうです。

3-1、名前を見て、その人の顔を思い出せるか

3-2、顔を見て、その人の名前を思い出せるか

顔を覚えていない人に関しては、3-1は不可能です。しかし顔を全く覚えていないというのでなくても、顔と名前の結びつきが弱い場合、思い出すのが難しい場合もあります。ここまで書いてきて分かったこと(あるいは最初からこれを書こうとしていた本題への導入)は、僕は人の顔や名前を非常に漠然と、曖昧とした形でしか覚えていないということです。それは恐らく他の人と比較してという意味で。ただし感覚的には名前の方が顔よりはよく覚えています。名前>顔です。

それでは僕は、他者がその他者であるということをどのように判断するのでしょうか。この他者の同一性、一貫性をyoudentityという言葉で呼ぶことにします。youdentityは僕が勝手に作った言葉で、自己の同一性を意味するidentityをもじっています。専門用語で、他者の同一性の認識を表す言葉が既にあるのかもしれませんが、そういう分野はあまり勉強していないし少し調べても分からなかったので、ここではyoudentityを使うことにします。僕はそれは文脈だと思っています。そして、この文脈には名前や、顔も含まれています。けれど、その文脈に占める顔や名前の割合がそれほど大きくないということなのだと思います。つまり、例えばこういうことを考えます。一度も会ったことがなく顔も名前も分からない人と待ち合わせをして会うという場合、そこでその他者の特定に使えるのは何時何分に何々駅のどこそこで集合することになっているという、まさにその事実のみでしょう。何となく格好からこの集団は自分と同じ目的でここに来ている人々の集合だと認識することもそうでしょう。これらは文脈の例です。全くの初対面の人ではない人と会うときも、そうした要素が文脈として機能するということは想像できると思います。予定調和しているということを逆に、真実性の根拠として採用している感覚です。確かなことはありません。懐疑的かもしれません。

そこにいるのが全く別の人でも、文脈がある程度満たされていたら場合によっては気づかないかもしれません。話を始めて、もっと文脈が強くなってくると、例えば過去の共通の体験についての話が噛み合わないとか、気づくかもしれません。記憶は、自分が自分であるということ、まさにidentityを担保する強力な文脈であると思います。一方で、私たちはyoudentityを何によって担保しているのか、そういうことを底で考えて、たまに息継ぎのために浮上してきて、そういう風に進んでいきたい 2000字を超えてきたので、そろそろ終わりにします。